Ronnie James Dio special interview in Japan

"BURRN!"

HM/HR界ナンバー・ワンの実力を維持し続ける超人ヴォーカリストを直撃
リッチー・ブラックモアとのRAINBOW再結成の可能性はあるのか…?

by KAZ HIROSE/EDITOR IN CHIEF

オーケストラと共演するDEEP PURPLEのショウのために来日したロニー・ジェイムス・ディオ。 東京のみの参加で、出番こそ少なかったが、ロニーの存在態と実力、人気の高さは圧倒的だった。 未練がましいかもしれないが、DEEP PURPLEの面々を従えて熱唱するロニーを観ていると、僕は「もう一度リッチー・ブラックモアとプレイしてほしい」と思ってしまうし、以下のインタビューの中でも実際にその話題を持ち出している。 この取材を終えた直後、僕はドイツでリッチー本人に“共演の可能性”のことを訊いた。 そのやり取りは本誌先月号に巻頭独占会見として掲載したので、未読の方は、併せてお読み頂けたら幸いだ。

──今回はDEEP PURPLEのショウにゲスト参加という形で来日されたわけですが………
ロニー・ジェイムス・ディオ(以下R):最初はロンドンでの2回のショウだけで終わりだと思っていたが、さらに南米を3週間、ヨーロッパを5週間ツアーしたから、これは私にとって、ある意味ではやるべきことになったということだろう。 東京でやらないかと言われた時は特別な感慨があったよ。 日本でDEEP PURPLEは重要な存在だし、あの素晴らしいショウを日本でもやれるというのは私にとっても格別なことだった。

──今回のDEEP PURPLEとの共演は、あなたが昔ロジャー・グローヴァーの「THE BUTTERFLY BALL」に参加したことで生まれたわけですよね?
R: そもそもロジャーとの出会いは、ELFがクライヴ・デイヴィスという人のオーディションを受けた時だった。 クライヴはボブ・ディラン他、多くのミュージシャンを発掘したことで知られる業界の有名人で、当時は『Columbia』にいた。 その頃DEEP PURPLEはアメリカ・ツアーをしていたが、イアン・ギランが肝炎を患ってツアーは中止となり、イアン・ペイスとロジャーを除く皆はイギリスヘ帰ってしまった。 当時の私のマネージャーで今はDEEP PURPLEのマネージャーをやっているブルース・ペインは、その頃DEEP PURPLEのブッキング・エージェントをやっていて、口ジャーとイアンがニューヨークに2日間滞在していた時、彼らに「ギランが肝炎で、半年は何も出来ないだろ? 今オーディションを受けているバンドがいるから、会ってみないか? プロデュースする気になるかもしれないよ」と言ったんだ。
クライヴのオーディションで演奏した私達を観て、ロジャーは私達を凄く気に入ってくれた。 イアンはこれで金儲けが出来るぐらいにしか思っていなかっただろうけど、ロジャーは真剣に気に入ってくれて、私達のプロデュースをしたいと申し出てくれたんだよ。 そこでロジャーとイアンがELFのファースト・アルバムをプロデュースすることになり、私達はジョージア州アトランタヘ行った。 そのレコーディングを終えるとロジャーはイギリスに戻り、リッチーやジョン・ロードにアルバムを聴かせたところ、彼らも気に入ってくれて、私達はDEEP PURPLEのオープニング・アクトに抜擢され、結果的には彼らと一緒にワールド・ツアーを8回くらいやったんだ。
その後さらにELFの2枚のアルバムをロジャーがプロデュースしたんだが、サードの「TRYING TO BURN THE SUN」を制作中に、「THE BUTTERFLY BALL」を作る話が『British Lion Pictures』からロジャーに持ち掛けられた。 ELFのアルバム作りが完成すると、ロジャーは私とELFのキーボーディストのミッキー・リー(ソウル)に、何曲か曲作りを手伝ってくれないかと頼んできて、私は “Love ls All” という曲を歌ってくれと言われた。 これは最初に作られた曲で、『British Lion』に売られたのもこの曲だったんだ。 私はその後「THE BUTTERFLY BALL」であと2曲やることになり、カエルの役をやることになった。

──「THE BUTTERFLY BALL」の話があった時は、またリッチーと新しいバンドを始めるという話は決まっていなかったのですか?
R: 決まっていなかった。 当時ロジャーはもうDEEP PURPLEにはいなくて、自身のプロジェクトをやっていた。 彼は、自分のバンドで一緒にプレイしないかとミッキー・リーと私を誘ったので、2人ともやるよと答えたんだ。 だが、その後またDEEP PURPLEと一緒にツアーをした時に、リッチーが私のところへやって来て、バンドを一緒にやらないかと言ってきた。 私はどうするのが自分にとって一番いいか考えた。 ロジャーを傷つけたくはなかったけど、私は自分に最も大きな喜びを与えてくれるキャリアを進むべきだと思った。 リッチーが素晴らしいギタリストであることは知っていたし、彼がヘヴィなものをやりたいということも知っていた。 ロジャーがやっていだのはLITTLE FEAT風のファンキーなホンキー・トンクで、ELFの音楽と似ていたが、私としては別のことをやりたかったし、DEEP PURPLEでリッチーがやっていた壮大な曲が好きだったから、私はそっちをやった方がいいと思ったんだ。 で、ロジャーのところへ行って、申しわけないがリッチーのオファーを受けてしまったから一緒に出来ないと言った。 彼をどれほど傷つけるか判っていたけど、正直にならないといけないと思ったから、逃げ出して口ジャーに二度と会わないなんてことはしなかった。 最後はロジャーも判ってくれたよ。

──DEEP PURPLE 的な音楽が好きだったのになぜ ELF では違う音楽をやっていたのですか?
R: 問題は、あのバンドにいたミュージシャンにあったんだ。 ああいう楽器編成だったので、私が本当に望んでいたようなものにすることは不可能だった。 ミッキー・リーは素晴らしいピアニストだが、ヘヴィ・ロックにピアノは似合わないよ。 ギタリストのスティーヴ・エドワーズは私の好きなタイプのプレイヤーではなかった。 いい奴だし、まあまあの腕ではあったが、前にいたデイヴ・ファインステインみたいなアグレッシヴなロック・プレイヤーではなかった。 ELFのアルバムでは、デイヴが弾いていたファーストが一番好きなんだ。 あの時はアグレッシヴな音楽をやっていたし、あのラインナップだったら私が思い描いていたようなバンドになっていたかもしれない。 でも、その後のラインナップでは駄目だった。 例えば最後のアルバム「TRYING TO BURN THE SUN」の“Wonderworld”を、私はもっとヘヴィかつエッヂの効いた感じにしたかったが、あれが精一杯だった。 あのままELFにいても満足出来なかったと思う。
今度ELFのアルバムを作ることになっていて、そこではロジャーがベーシストとして参加するんだ。 ただ、DIOのスケジュールを優先させているので、今はやる暇がない。 私は1つのことに集中しないと出来ないタイプなんだ。 「MAGICA」ツアーを始めてから1年以上経つけど、アメリカ・ツアーを3目、ヨーロッパでは2回ツアーした。 今度のアリス・クーパーとのショウが終わったら、次のDIOのアルバムに取り掛かるつもりだ。 だから、ELFはまだまだ先だな。 (笑)

──ここ何年もの間、アメリカでは伝統的HM/HRバンドに対する反応は厳しかったと聞きますが…。
R: 私は自分のやるべきことをやっていたから、反応が悪かったことは一度もないよ。 確かにここ10年間、アメリカでは誰もHM/HRに注目しなかった。 トレンドが別の方に向いていだからね。 それに、若い世代には自分達の音楽が必要で、若者にとって私達は古い音楽をやっている年寄りだ。 でも、総てが一巡したような気はするね。 IRON MAIDENにブルース(ディッキンソン)が戻ったことが、皆の助けになったのは確かだ。 彼らの功績は大きい。 だが、今の世代のための音楽は私達のような年寄りではなく、若者がやらないといけない。 それでも私達がまだやっているのは、これが私達の得意なことであり、ロックン・ロール自体がもはや若くはないからなんだ。 ロックン・ロールは古い音楽になった。 それはつまり、ロックン・ロールと共に成長してきた人達がいるということさ。 ビル・クリントンもジョージ・ブッシュもロックン・ロールが好きなんだからね。

──今回あなたが歌ったのは「THE BUTTERFLY BALL」からの2曲とDIOの2曲です。 “Rainbow In The Dark” はDIOの代表曲だから当然として、もう1曲が“Fever Dreams” である理由は?
R: バンドはオーケストラとリハーサルしないといけないから時間が限られていて、出来るだけ簡単な曲がいいと思った。 “Rainbow ln The Dark” は簡単だから問題ない。 “Fever Dreams” もバンドにとって楽なだけでなく、いかにも昔の私らしい曲で、“Man On The Silver Mountain” に似ているし、DIOが「MAGICA」でやったことを如実に表わしている。それでだよ。

──あなたのファンとしては、もっと沢山の曲を歌ってほしかったというのが本音ですが、それは無理だったのでしょうか?
R: もっとやりたいとは、私は言わなかった。 これは彼らのショウだから、私は出しゃばるような真似だけはしたくなかった。 彼らのコンチェルトヘ、私に参加しないかと親切にも言ってくれて、私は喜んで参加した。 あと2曲やってくれと彼らの方から言ってきたのであれば、私は喜んでやっただろう。 日本の観客は礼儀正しいが、南米あたりではオーケストラがやり過ぎると観客が騒々しくなった。 私はアグレッシヴに歌うから、私が出ると問題なかったんだが、私が歌い終えてまたオーケストラが始まると、ブーイングが起こったんだ。 ジョンはそのことで気分を害したし、私も彼を気の毒に思った。 でも私はそういうことには一切関わらないことにしたよ。 オーケストラと一緒に“Man On The Silver Mountain” をやるという話もあったんだが、結局時間がなかった。 確かに、もっとやりたいと思うこともあったよ。 4曲だけというのは、私にとってはやりにくい。 私は一旦エンジンが掛かるとガーッといくタイプだから、4曲だけだと戻ってくるのが大変なんだ。 だが、それは私の決めるべきことじゃない。

──それにしても、お世辞抜きにあなたの声は全く衰えを知りませんね。
R: 私は自分の音楽を愛しているし、誰も失望させたくない。 DIOの観客のうち半分は、おそらく誰かに連れて来られたのであり、それまで私がいたどのバンドも観たことがなかっただろう。 でも、自分を連れてきた人から「ロニーは最高だ」と聞かされているに違いない。 勧めた人のためにも、勧められて来た人のためにも、素晴らしいものを観せなければいけないという気持で一杯だ。

──年を取るに従って、より成熟した方向性に移行していくミュージシャンもいますが…。
R: 私は何だって歌えるし、他のことをやる機会もある。 でも、私が愛しているのはハードでヘヴィなロックなんだ。 突然、別のことをやっても仕方がない。 ブロードウェイでミュージカルをやらないかという話も何度かあって、セバスチャン・バックからも「あなたもやるべきだ」と言われたが、私はそういうものに喜びを見出せないんだ。 私は自分の得意なことを続けていくだけさ。 例えば、今のAEROSMITHは昔とは別のバンドだ。 彼らの今の成功は、そもそも彼らを最初に成功させたものと同じところにはない。 かつての彼らは威勢のいいブルージーなロック・バンドだったが、今の彼らは凄く洗練されていて、素晴らしいビデオを作り、服装も髪型もキマっている。 勿論、スティーヴン・タイラーは世界でも有数のパフォーマーだし、実に素晴らしいロック・シンガーだけどね。 彼らは多分、一番楽しかったのは昔クラブでプレイしていた頃だと言うだろう。 今の彼らは “メディアのお気に入り”だ。 私にとっての成功はそういうものではなく、心の問題なんだよ。

──前回お会いした時にも、その前にもお訊きした話題を、またここで蒸し返しますが…。
R: 判っているよ。 RAINBOWのことだよね?私も答えたいと思う。 前に会った時には、RAINBOWで何か出来るだろうと私は思っていたんだ。 日本で『One Night Stand』と銘打ってショウをやるとかね。 だが、その話が持ち上がった後は、リッチー本人とも彼のマネージャーとも何のコンタクトも取っていない。 だから、ファンにとっては残念なことになったと思っているよ。 私が気掛かりなのは、いつだってファンだ。 大勢の人がRAINBOWを観たがっていて、もう一度あのバンドにやって貰いたいと思っている。 たった一度のショウでも観たいと思っているわけだ。 特に日本とドイツではね。 私も、当時のRAINBOWは最高だったと思う。 私は、またやれるとしたら、ぜひともジミー(ベイン/b)にも参加して貰いたいと思っていた。 私としても、ぜひともまたやりたいと思っていたが、もはやコンタクトを失ってしまったんだ。
リッチーについて悪く言うべきことなど何もない。 彼は私に素晴らしいチャンスを与えてくれた人だし、それで成功もした。 彼から沢山のことを学んだよ。 彼は世界で3本の指に入るほどの優れたギタリストであり、天才ミュージシャンだ。 でも、ビジネスは難しいもので、人々のエゴやビジネスはミュージシャンの行く手を阻んでしまう。 ミュージシャンは、ただ音楽をプレイしたいだけなのに、ビジネスに携わっている人間の考え方はまた別で、ミュージシャンのやりたいことを阻もうとする。 マネージャーが絡んでくると、それぞれのメンバーに「おまえの方があいつより優れているんだから、こうするんだ」とか吹き込んで、結局そのせいでバンドは解散してしまう。 でも残念なことに、ビジネスに携わる人間が私達には必要なんだ。 でなかったら、金を根こそぎ持っていかれてしまう。 もっとも私は以前、自分のマネージャーに根こそぎ持っていかれだけどね。 (笑)
問題は、キッズが求めているもの、キッズの耳に届くべきものをビジネスが邪魔しているということだ。 RAINBOWの件に関して、私はリッチーとは全く話をしていない。 最後に直接リッチーと話をしたのは1983年だから、もう18年前になるね。 これだけコミュニケーションが取れていないと、結果は見えているよ。私は諦めた。 もうこれ以上「何かが起こるだろう」とは言わないよ。
長年の間、私は、RAINBOWに関する何かが起こった時にはそれを受け入れるという態勢を保ってきた。 ファンのためにもそうしたかったし、私自身リッチーともう一度やりたいと思っていたからだ。 また一緒にやれば素晴らしい曲が作れただろうし、ライヴでも素晴らしい音楽がやれただろう。 でも、コミュニケーションが取れなければ何も起きない。 今の実感を正直に言えば、もう門は閉められたという感じだ。 誰かがこの門を開けたいと思ったら、かなり激しく叩いて貰わないといけないだろうね。 RAINBOWが再結成すると言えないことで、多くの人を悲しませてしまうのは残念だよ。 私は長い間、それが実現するように、正しいことをしてきたつもりだが、残念ながらきっと充分ではなかったんだろう。 私はもう、誰かから連絡があるのをただただ待っているようなことはしないよ。 ■■