Roger Glover

"BURRN!" Sep. 1993 - An exclusive Interview of 25th anniversary

by VALERIE POTTER

豪華ホテルの一室でロジャー・グローヴァーに初めて会ったのだが、彼は親しみやすく愛想の良い人であった。 日焼けしてとてもリラックスして見える彼はこの訪ねて来たジャーナリストが居心地のよいようにといたく気を遺ってくれて、私に席を勧め飲み物を注文した。 そして実はまだインタビューを受ける準備が全然出来ていないのだと打ち明けた。 「俺は何を言おうかと前もって考えたことは一度もないんだ。 基本的に俺は出来る限り正直でいようと思っているからね」そしてその言葉どおり、ジョー・リン・ターナーの解雇、イアン・ギランの出戻り、「THE BATTLE RAGES ON」アルバムの制作、バンドの将来について等々、総てフランクに話してくれた。

──前回私がDEEP PURPLE (以下DP)にインタビューしたのは「SLAVES AND MASTERS」アルバムの発売の少し前で、その時には話の殆どがジョー・リン・ターナーの参加がどれだけDPの歴史における新しい時代の先駆けとなるかに終始しました。 それなのにたった1枚のアルバムと1回のツアーだけでジョーはバンドを去り、イアン・ギランが再加入したわけですが、一体何があったのですか?
ロジャー・グローヴァー(以下R):まず最初に言っておくと、俺は初めからジョーがバンドに加入するという提案については強く反対していたんだ。 彼の加入が正しいことだとは思えなかった。 だが、当時俺達は切羽詰まっていた。 あの頃、俺達の音楽が上手く軌道に乗っていなくて、その責任はイアンにあるという意見が多く、彼は辞めるべきだということになった。 これについても俺は反対したんだけどね。 とにかくイアンは解雇ということになり、俺達はシンガーを捜している4人組という立場にあったのさ。 俺としてはジョーには反対だったんだけど、やって来て自分の持ち味を披露してくれたのが彼だけだったし、まあ可能性はあるかなと思ったわけさ。 「SLAVES AND MASTERS」はそれなりにいいと思ったけど、あれがDPのアルバムだとは思えなかったよ。 ただ、ツアーはアルバムよりもずっと上手くいった。 ジョーはアルバムよりもステージでの方がいい働きをしたと思う。 あのバンドに関しては、多少なりとも俺はツアーは楽しんだと言わなければいけないだろう。 それでも俺はイアンの存在がとても恋しかったんだ。 友達としても、フロントマンとしても、クレイジーな野郎としてもね!
次のアルバムを作る時になって…と言っても曲作りに関しては俺達はもう数年前から始めていたんだけど、
「SLAVES AND MASTERS」の時に起こったことと同じことがまた起こり始めていたんだ。 歌詞と主要な部分、メロディに関してはジョーと俺がメインのライターで、リッチー(ブラックモア)は音楽のメインのライターだったんだけど、「SLAVES AND MASTERS」の時に俺はジョーと一緒に曲を作るのは難しいと実感したんだよ。 それでも最後には、まあ何とかそれなりに同意するところまでこぎつけたんだけどね…お互いに大ゲンカをした後にさ! 大抵は殴り合いまでになった。彼は曲作りに関して、とても薄っぺらだったんだ。 前に聴いたことのあるものを書くのも全然平気だった。 そして、その醜い争いがまた頭をもたげ始めたというわけだ。 彼は俺が“これはオリジナルだ”って勧めたものどれ1つとっても、どう対処していいのかわからなかったんだよ。 それは、彼がそれを前に聴いたことがなかったからなのさ。 それが急激に大きくなっていって爆発寸前になった。 俺達がスタジオ入りしてバッキング1トラックをやってたときにジョーがやって来ていくつか歌い始めたんだけど…自分のバンドの誰かがそれが凄くいいと信じてやっている一方で、自分がそれを全くくだらないと感じることは恐ろしいことだね。 ジョーと俺は本当にお互いに理解し合うことが出来なくて、結局俺が諦めたんだ。 その時点で、他からライターを呼んでやることも試してみて…これはリッチーの提案だったんだけど、それでもまだ充分じゃなかった。 それまでに俺は非常に不愉快な気持になっていた。 俺はもうこれ以上このバンドにいたくないと感じていて、しかもそのバンドが俺の行って欲しくない方向性へ行こうとしていたわけだからね。
それでとうとう俺は、他の皆にもだけど、特にリッチーに「もうジョーとは一緒に書けない」と言ったんだ。 そうしたら、他の皆もジョーには嫌気が差していることが判ったんだよ。 彼は実際よりも自分のことを大きく言うタイプの人間で、仮に俺がジョーのことを好きだとしても、毎晩一緒にレストランとかで一緒に楽しみたいと思うようなタイプの人間ではない。 彼は威張り散らす横柄な人間で、俺達はそれに比べてとても英国的で凄く控えめな人間だからね!
とにかく、俺達が皆同じように感じているということが判り、ジョーもそれをよく受け止めてくれた。 彼の頭は、ずっとかけ離れたコマーシャルなところにあって、音楽を作ることに夢中になる代わりに、シンガーであるという考えに夢中になっていたのさ。 彼は「実のところ、君の言うとおりだと思うよ。 イアン・ギランを入れて凄いアルバムを作るべきさ。 幸運を祈ってるよ!」と言って去っていった。 いい別れ方だったし、今でも彼のことは友達だと考えているよ。
2〜3ヵ月の間は実に多くの駆け引きがあったけど、その間俺はイギリスヘ飛んでイアンと一緒に実験的に曲作りをしてみた。 それからバッキング・トラックを録ったんだ。 3日間で3曲書いて、そのうちの1曲はボツになったけど、2曲は残った。 1曲は“Time To Kill”で、もう1曲は“Solitaire”だ。 “Time To Kill”はまだジョーがバンドにいた頃既に曲が出来ていて、リッチーは気に入っていたんだけど、俺は気に入らなかった。 俺が新しいコーラス・ラインを思いついたとき、イアンは「それいいね! 俺は気に入ったよ」と言ってくれた。これが本当に俺達の関係の基本なんだ。 つまり、俺が凄くいいものを作ってもジョーは「フン!」と言うだけだけど、イアンは「それは凄いよ!」とか
「それはつまらないな」とか言ってくれるんだ。 ともかく、彼が歌詞を書いてその曲が出来たわけさ。 “Time To Kill” はイアンをバンドに取り戻した曲なんだ。 その後、俺達はドイツでスタジオに入った。 とても上手くいったよ。ジョーの時との違いはすぐに感じられた。 確かに自分自身を取り戻せたし、自分と同じ音楽の言葉を話す奴と一緒っていうのは文句なしに素晴らしいことだね。

──一般に指摘されているイアン・ギランとリッチー・ブラックモアとの個人的な相違点については?
R:俺はイアンは絶対戻ってこないだろうと思っていた。 ある晩遅くにベアーズビルから彼に電話をしたんだよ。 俺達はそこでバッキング・トラックをやっていたんだ。 凄く躊躇しながらも、俺はあれこれつついてみた。 「なあ、どうだろう…もし…少しは可能性はあるかい…?」みたいにね。 そしてとうとう俺は、「バンドとして俺達がもう一度一緒にやれる可能性はあると思うかい?」と訊いてみた。 彼は「それについては判らないよ…」と言うから、俺は「じゃあ正直に言うよ。 ジョーでは上手くいかないんだ。 俺は本当に君が最適だと思ってる。 ここ数年にいろいろあったけど、俺は今でもここが君の家だと感じているんだよ」と言ったのさ。 これで本当に彼も心が動いたみたいで、「判らないけど、考えさせてくれ」と言ってくれた。 そしてそこから出来上がっていったんだ。 実際にはとてもエモーショナルな出来事を、こんなに冷静に話をしているのは、おかしなことだけど…ともかく、彼が苦い思いに打ち勝って、理由はどうであれバンドの一員になることに同意してくれたことを、俺は本当にありかたく思っているんだ。
彼とリッチーが最初に再会したのはドイツのスタジオだったんだけど、正直言って俺は信じられないくらい緊張していたんだ! でも実際には、リッチーがやってきた時、彼はとてもいい態度を取っていたし、決まり悪そうな笑みを浮かべて握手してたよ。 皆自分の一番良い態度で臨んでいた。 それからすぐに音楽に取りかかって、リッチーは自分の望んでいることについての自分のフィーリングを述べたんだ。 彼がアイディアを持ってた曲でジョーが聴こうとしなかった曲が何曲かあって、それをイアンはちゃんと聴き、「そうだね、俺は、それはとてもいいアイディアだと思うよ」と言ったんだよ。 それから後も、確かリッチーは3度スタジオにやって来たから、それだけ近くにいれば何も隠せないし、俺達が向かっている方向性について安心出来た時点で、リッチーは俺達のやりたいようにやらせてくれたのさ。 俺は今でも彼がイアンの声を気に入ってるとは思ってないけどね。 実を言えば、今の時点では俺の知っている限り、リッチーはまだアルバムを聴いていないと思うんだ。 多分俺達がライヴ公演をやることになったときに初めて曲がどんなものなのか聴くことになるんじゃないかな!
俺達はこのバンドの中で互いに話をしない。 バンドとして機能していないんだ。全く哀れな状況さ。 ただ単に上手くバランスが取れてるだけであって、バンド内の摩擦はこの現状を揺さぶりたいとは決して思わないくらいのものなんだよ。 少しでも揺さぶったら、誰かがきっと「そうか、じゃあ俺はやめるよ!」と言い出すからね。 だから俺達は必ずマネージャーを通して話をしているのさ。 総ての決断はマネージャーを通して行なわれ、皆が何を考えているのかもマネージャーが自分達に話してくれたことによって知るんだよ。 彼がフィルターの役目を果たしているんだ。 長年に渡って、インタビューではいつも俺がバンドを弁護する側にまわって前に出てきてたけど、もう本当に充分やってきたと思うから、これからは批判することを敢えて避けたりしないつもりさ。 結局、問題のあるバンドなんだ。 俺達の持っている銀の輪が時々現れては俺達を1つにしてくれる。 それを起こす何かが、このバンドのマジックなんだよ。 だからそれが起こるときに一緒にプレイすれば、俺達全員それによって豊かになる。 ただ、本当にたまにしか起きないのが悩みの種なんだけどね! でも俺は今でもDPの名前には弱いし、今でも俺達のやれることはあると信じている。 このバンドのプレイヤー達のことは尊敬しているし、彼らの作る音楽も尊敬しているよ。

──「THE BATTLE RAGES ON」を初めて聴いたとき、印象の強かった曲の中の1つが“Ramshackle Man”で、バッキング・トラックが見事にブッカーTの“Green Onions” にそっくりなのですが、それは意図的にそれから“借りた”わけですか?
R:さあね。 確かにいくつかのものを思い起こさせる曲ではあると思うよ。 “Green Onions”、それに“Goin'Down”や“Living For The City” の一部もね。 あれは俺達がやった最後の曲なんだ。 最終日の前の晩にミーティングをやって「もう1曲やらなくては駄目だ。 俺達に欠けているものは何だ? シャッフルがないぞ!」ということになったんだ。 それで次の日の午後にスタジオに入って、皆で輪になってみたものの何にも起こらなかった。 俺はリハーサルのときのテープを何本か流してみたけど、それでも駄目だった。 すると突然、リッチーが自分のボリュームを上げて、あのデカい唸るようなサウンドを出したんだよ。 それで俺達も皆それに参加して、彼が進んでいくのについていった。 そしてジャムっていたら、彼が手を止めて「これがお前達のシャッフルだ!」と言ったのさ。 これは本当に楽しめる曲だし、君が何か思い出すならそれも結構。 これは“Smoke on The Water” と同じノートを使っているし、これと同じノートを何度も何度も繰り返し違うバターンで使うことも出来るよ。 “Ramshackle Man”とはイアン・ギランのことで、彼がタイトルを付けた。
“The Battle Rages On” は俺の曲だし、“Solitaire”や“Time To Kill”も俺の曲だよ。 “Talk About Love” は彼の曲で、“Anya”は俺の曲…イアンと俺は大体50/50というところなんだ。本当に最高の曲作りの関係さ。

──それだけクリエイティヴな関係なら、あなた方が'88年にリリースした「ACCIDENTALLY ON PURPOSE」のようなGILLAN=GLOVERのアルバムをまたレコーディングしようとは考えないのですか?
R:もう1枚を計画中のところさ。 やらないでいるほうが難しいよ。 俺達が一緒に曲を書くときは、ある日の午後を一緒に過ごして10曲書くことも出来るんだ。 勿論それは全部DPの曲ではない。 DPにいるときにはDPでいなくてはならないけど、いったんそれから離れて、DPのファンがどう思うかなんて考えることなしに自分自身でいられるガッツがあるなら、何でも出来るんだよ。 それに、前回のアルバムを一緒にやった時には何でもやったつもりさ。 もしかしたら少し違うものになりすぎたかもしれないけど、でも俺達は楽しみたかったんだ。長い間やってきて、初めてね。 次のアルバムを作る時にはその間違いから学んだものが活かされていると思うよ。
俺達は確かに自分達にとって良いものを手にしてきているんだ。 彼と一緒にやることはフラストレーションが溜まることだということが判ったことも含めてね。 彼は俺が彼に歌って欲しい歌い方で歌ってくれないんだよ。彼は彼が唄う歌い方で唄うのさ。 俺が出来るだけ彼を俺のアイディアに傾けようと努力しても、彼は殆どいつも、特定の聴き方でしか聴くことが出来ない。 だから俺はそれに身を任すしかないんだよ。 多分そのフラストレーションはリッチーが長年ずっとイアンの声に抱いてきたものだったのさ。 イアンはどんなものでもある特定の歌い方でしか唄わないし、一般的なシンガーが歌うようには唄わないだろう。 彼はポール・ロジャースが歌うようにも唄わないだろうしね。 リッチーはポール・ロジャースが好きだから、よく彼はブルージーな感じの声で歌うことを要求するよ。 でも彼が手にしてるのはイアン・ギランの歌声であり、彼のとてもオリジナルな偏った世界の見方なんだ。 これがリッチーの神経に障っていることは確かだと思うよ。 でも結局何をどう言ったところで、それはとてもオリジナルで、それがイアン・ギランなんだし、それだからこそ、それがDPなのさ。 リッチーが好むと好まざるとにかかわらずね。

──DPのツアーについては?
R:7月を殆どリハーサルに費やしてから、アメリカでスタートすることになっているよ。 (これは結局、キャンセルされ、9月からのヨーロッバ・ツアーがスタートとなる…予定)俺達のやっている“リハーサル”っていうのは、適当に同じ街に集まって、時々1〜2時間くらいリハーサル・ホールでお互いが顔を合わすって感じなんだ。 そこで簡単に始まりと終わりなんかを決めるんだけど、いつも各々バラバラの方向へ行ってしまうのさ! それから照明とサウンドの人間を交えたリハーサルが1週間続くんだけど、そこでも多かれ少なかれまた同じことが起こる。 照明やサウンドの人間にとってはイライラすることだと思うよ。 彼らには一緒にリハーサルをするバンドがないも同然なんだからね! 俺達が一緒に演奏をすることはごく稀なんだ。本当に嫌になるよ。
俺達が観衆の目の前でステージに立つ時…その時が本当のリハーサルが始まる時なんだ。 ある意味で、俺はそれが気に入ってる。 それはとても危なっかしいことだから、いつも気を張っていないといけないし、新鮮で、それこそライヴだと思う。 俺は余りにもリハーサルされ過ぎのバンドには我慢ならない。 まるでビデオを観てるようだ。 ライヴは本来、ある程度「ステージで一体何が起こってるんだ? この曲のキーは何だったっけ? 奴は一体何のためにあんなものをプレイしているんだ?」といった要素があるべきだし、俺はそれが楽しみなんだよ。 ステージにいて目の前に観衆が群がっているときに、このバンドは本当に花開くと思う。 だから、どれだけ摩擦や意見の違いがあったとしても、ライヴではそれが簡単に後ろへ引っ込んでしまうことも、俺にはちゃんと判ってるんだ。

──将来をどのように考えていますか? バンドの気まぐれな性質を心に留めて、アルバム毎で捉えていますか? それともDPが21世紀まで続いていくと考えることが出来ますか?
R:この目的のない宙ぶらりんのものを、魔法が起きるのを待ちながら、これからどれだけ続けていけるかなんて判らないよ。俺は音楽を作りたい。 DPで音楽を作りたいんだ。だからDPに終わって貰いたくない。 でも将来のことは余りはっきりとは考えていないんだ。 毎日を大切にして、一番いいようにと願っているだけさ。 '69年にバンドに加入した時には、'93年の今まで一緒にやっているだろうなんて考えていなかったのは確かだし、'73年に俺が抜けた後、また一緒にやることになるだろうとも思わなかった。 '84年に再結成した時も、今と同じアティテュードだったよ。
確かに、DPは俺の人生においてこれまで起こった音楽的な出来事の中でも最も気まぐれで、しかもやりがいのあることだった。 だからそれが終わりになるところを見るのは本当に嫌なんだ。 でも、終わりになるのを見たいと思うことも時々あるよ。 これは他の人にとっては実感しにくいことだろうね。 俺がとても羨ましがられる立場にいることもわかっているし、自分の人生においても、DPみたいなバンドに在籍しているなんて自分はとっても幸運で、恵まれていると思ってるよ。 そのバンドから抜けることを考えるだけでも妙に聞こえるだろうけど、結局のところ俺もただの人間だから、人間的な問題にも対処していかなければいけないわけさ。 DPから解放されたい…そしてそれがf可であれ自分の心の赴くままにやりたいと思うときもあるよ。 だけど、まだあと数枚はアルバムを作ってみたいし、何度かツアーをやってみたいと考えている。 その後俺がどんなことをやるにしても、それがDPのようなものになることはないと思うからね。

──ここ数年で、HRの分野においても、NIRVANA等のシアトル・サウンドやグランジの到来で、かなりの変化がありましたが、この全体的な動きの中でDPはどこに位置すると思いますか?
R:隅のほうさ! 俺はいろんな音楽を聴くんだよ。 おそらくバンドの残りのメンバーよりもずっとね。 だから俺は、現在起こっていることについては認識しているつもりさ。 新しい音楽の中には確かに俺が素晴らしいと思うような要素もあるし、俺の時代の頃に戻っていると思われるようなものもあるよ。 例えばTEMPLE OF THE DOGの「TEMPLE OF THE DOG」は最高のアルバムだし、俺は本当に気に入っている。 そのアティテュードには俺にPURPLEの初期を思い出させるものがあると思う。 DPはどんな流行の一部にも属さないと考えたいね。 実際、俺達は皆に好かれるような格好いいバンドだったことは一度もない。 DPの全盛期でさえ、俺達はプレスや流行に敏感な人達には相手にして貰えなかったんだ。 俺達はただの労働者ロック、普通のよくあるハード・コアなロックン・ロール・バンドだったのさ。 まあ、ちょっと独特の魅力と技があったけどね。 俺達はどのカテゴリーにも所属しないし、それが俺達の強みでもある。 俺達が今でもこうしてやっていられるのは、俺達が決してトレンドになったことがないという事実に基づいているんだと思う。 だから、自分達のことをこのミュージック・ビジネスのどの領域にも結びつけたくないんだよ。 DPはユニークなバンドで、ユニークな場所をキープしていると思いたい。 俺達のことを気に入って貰えないなら、せめて嫌いになって欲しいね!■■