Ritchie Blackmore

"BURRN!" Oct. 1993 - An exclusive Interview of 25th anniversary

イアン・ギランの激白、ロジャー・グローヴァーの冷静な分析に続いて、遂にリッチー・ブラックモアがその重い口を開いた。
先月号で矢面に立たされたギタリストを、本誌はロングアイランドでキャッチ。
興に乗れば饒舌となる“ストーリー・テラー”は、離合集散を繰り返す不健全極まりないバンドの実態と、過去・現在・未来を90分間にわたって語り続けた。
そして、もう一人のDEEP PURPLE創設者ジョン・ロードも、コネティカットで25年間を振り返る…

by KOH SAKAI/EDITOR IN CHIEF

先月号に掲載されたイアン・ギランのインタビューをロンドンで取ったのが6月24日。 そして、印刷所に入稿した直後、「取材日が7月6日に決定」という連絡がマネージメントから入る。 結局、8日間程東京にいただけで、今度はNYへ飛ぶことになった。 しかも、NYCから車を約2時間走らせたところにあるロングアイランドのレストラン、時間は夜9時。 わざわざ行って再びキャンセルを喰らったら…という不安と、とりあえず許可が下りたことによる安堵感が複雑に交錯する。
リッチー・ブラックモアの滅多には応じてくれないインタビューを取ろうとする度に、私はどんどん自虐的になる。 許可が出ても、そこから受け取れるニュアンスは「インタビューが欲しければ来て欲しい」といった生易しいものではなく、「来れるなら来てみろ」「取材を本当にしたいのなら何処でも来る筈」と言われているような気さえしてくるのだ。 しかも、実際にマイクを向けることが出来るまで神経が殺られる。
再結成DEEP PURPLE初のワールド・ツアーの時もそうだ。 ニュージーランド、オーストラリアをバンドと一緒に1週間サーキットし、いつでも取れる状況にも関わらずインタビューが指定されたのが帰国前夜。 外は素晴らしい天候で彼は毎日サッカーをやりに出掛ける。 その間、こちらはいつでも出来るよう、ホテルの部屋で待機。 RAINBOW時代にはキャンセルを受ける度に次の約束の時間に指定場へ行き、4度目の正直で何とか締切りに間に合わせるという離れ抜を強いられたし、ジョー・リン・ターナーが加入したDEEP PURPUEの時はコネティカットまで行かされた。 そして、御存知のとおり、前回はロンドンまで行ってキャンセル、表紙の急減変更を余儀なくされた。
ま、必ずしもそうではないが、この業界はアーティスト、マネージメントが一番強く、2番目がプロモーターとレコード会社、続いて雑誌や電波媒体、最後がフリーランスという定説がある。 その上下関係からすれば、ミュージシャンの言うことが絶対であるからして、インタビューが取れなくても文句は言えないし、相手も生身の人間だから致し方ないのだが……。
とはいえ、辛い思いをして取れた時の快感はたとえようがない。 焦らしに焦らされ、やっと欲求が満たされる。その快楽に溺れる自分が恨めしい。 まるで、被虐性変態性欲者になったような気分だ。 正に“slave and master” の関係である。 まったく腹立たしい、厄介なミュージシャン、バンドのファンになってしまったものだ。しかも、25年間も、だ。 自分の貞操観念の強さに驚嘆するよ。
7月6日、夜9時。 ロングアイランドの小さなレストラン。 店のマネージャーの話によると、1906年に建てられた家を改造したもので、なるほどバー・カウンターの傍にあるピアノやデスクは骨董品である。 広いダイニングの方は2階まで吹き抜けになっており、4人掛けテーブルが20以上あり、無理をすれば100人は座われそうだ。 隅に幾つも置いてある漆黒の鎧や銅像は16世紀のものだそうで、いかにもリッチー・ブラックモア好みの雰囲気である。 だが、どういうわけかジャズがBGMとして流れている。 そのミスマッチが気になったが、案の上、そこに彼の姿はない。 奥の個室で食事をしており、マネージャーが私の到着を告げに行った。 戻って来た抜は「もう少し待って欲しいそうだ」と言う。 「待たされるのは馴れているから」と言うと、笑いながら飲み物を出してくれる。
暫くすると、突然、「待っててくれてありがとう」というあの独特の小さな声が背後から聞こえてきた。 振り返ると、いつの間にか……いる。 「耳の具合いはどうですか?」と訊くと、「耳? 別に大丈夫だけど…」一瞬、目が点になる。 ならば、ロンドンでのキャンセルは一体何だったのだろう!?
リッチーに案内され、別室に入る。 30畳ぐらいのスペースだろうか…ガールフレンドと彼女の母親が同席していた。 たった3人で、しかも……蝋燭1本の明りて食事をしている。 「暗すぎる?」と真面目な顔をして訊くので、「ええ…もう少し明るくないと準備が出来ないんですけど…」と言うと、笑いながら部屋の灯りを点けてくれた。勿論、ほんの僅かだが。
インタビューの用意が出来る。 テープが回り始めた時、リッチーは私に「腰の調子はどうなの?」と訊いた。ここで私はそれこそ腰を抜かしそうになったのだ。
というのは、以前にも抜はインタビュー中、何かの質問に対して「キミはバンドをやっていたことがあるから判るだろうけど…」と言って答え始めた。 (1990年8月号参照)その時は何気なく聞いていたが、抜は私がバンドをやっていたことは知らない筈だし、少なくとも私は言ったことがない。 そして、今回は腰痛を知っている。 これまた教えたことはないし、「何故知っているのか?」と訊いても笑って答えない。 相変わらず、ミステリアスである。 友人にこの話をすると、彼は「情報収集力、能力が凄いんだろうね」と分析していたが、果たしてそれだけだろうか? 薄気味悪いことこの上ない。
さて、今回のインタビューだが、2つの大まかなサブジェクトに分けて行なうことにした。 1つは一般的な質問で、イアン・ギランとの確執、25周年、最新アルバム「THE BATTLE RAGES ON」が中心になっている。 そして、もう1つが25年間リッチー・ブラックモア及びDEEP PURPLEを見守ってきたファンのためのマニアックな質問である。
イアン・ギランにあそこまで言われた(先月号参照)リッチー・ブラックモアの反論や如何に…、DEEP PURPLEの盗作事件の真相や如何に…そして、RAINBOWの再結成は本当にあるのか否か……個人的にも興味ある質問を用意してインタビューにのぞんだ。 ここに掲載したものはテープからのべタ起こし(業界用語で一言も省略しないで翻訳したもの)で、約90分の内容を完全に再現している。 ストーリー・テラーである彼の話を楽しんで頂きたい。

GENERAL SIDE(PART I):

お互いに心から尊重している部分があれば、相手を嫌いでも好きでも余り関係ない

リッチー・ブラックモア(以下R):腰の調子はどうなの?

──まあまあですね。 時々、右側のこの部分が…エッ!?何故、僕の腰痛を知っているんですか?
R : …………(ニヤニヤ笑って答えず)

──……ま、いいや。 25年という月日は振り返ってみて長かったですか、それともアッという間でしたか?
R : 自らの意識の中では、DEEP PURPLE (以下DP)と共に過ごした時間というのはたった3年ぐらいでしかないんだ。 ただ、人から「あの時はこうだったんですよね?」などと問われると、そういえばそれは1968年のことだからもう25年も前のことか…と認識したりする。で、これに関しては2つの見方をしている。 まず1つは…たまにTVなどで目撃する'60年代のバンドの映像があるよね…例えば、KINKSとかROLLING STONESの。 それを観ている“子供の自分”がいて、興奮している。 が、冷静に考えると、その時代に自分は既にシーンの一員だった、と。 だから、今となっては過去の自分はもう他の人になってしまったような感触がある。 不思議な感じだし…言葉で表現するのは難しいね……。
でも、きょう、たまたま昼間にそういったことを考えていて…私もあと2年で50歳になる。 今年、48だからね。 50歳というのは凄いことだ。 何と言っても、1世紀の半分だし…ま、だからサッカーをやる度に腰痛に悩まされるのは仕方がないことかもね。 (笑) 

──そのサッカー選手達が100ゴールを決めた時に、「これは自分の選手生活における通過点に過ぎないから大して感慨はない」とコメントする場合がありますが、あなたにとっても25周年というのはキャリアの中の1ページに過ぎないのでしょうが…それとも、何が特別な感慨はありますか?
R : まず、基本的に私は音楽を趣味でやっているつもりだ。だから、キャリアではない。 面白いと思った時に、夢中になるものなんだ。 本来ならばもっとギターに接する時間を持つべきなのかもしれないけれど、残念ながらそうではない。 私は自分の家を修理すのに忙しくて、いつも家のバーを作ったり家具を設計したりしている。 普通に考えれば、そんなことをしている間にスタジオに入って新曲でもレコーディングしていなくてはいけないのかもしれないが、私には出来ない。 私は自分のことを大工で、配管工で、ほんの少しギターを弾き、たくさんサッカーをやる人間だと考えているからね。
音楽とは、酒によく似たものだと思うんだ。 つまり、飲みたくなった時に自分でセレクトしてそれを飲む。 が、どんなに酒好きでも、1日24時間飲んでいられない。勿論、罪悪感を持つこともあるよ。 もう少しギターを弾かなければ…とかね。 少なくとも1日8時間はプレイしなければ…なんて思ったりもする。 私がギターを弾き始めた頃はそうしていた。 11とか12歳の頃…今から36年も前だが、その頃とは考え方が違う。 当時は、とにかくギターを弾いてさえいれば何とかなると思っていた。 今は、自分が何か人に伝えたくなった時のみギターを持つようにしている。 年柄年中、自分の主張を続けていることは難しい。 1人の人間が主張出来ることなんて、たかが知れているんだ。 自分が何か伝えたいと思わない限り、ギターは持たない。 それより、木と向かいあって何かを作っていたり、ボールを蹴り飛ばしている方が自分に正直になれる。 ギターを弾くことを仕事だと思った日から、それは拷問になる。 今はそうではないから、たまにギターと触れ合うと楽しくてたまらないよ。

──25周年を記念するアルバムを制作する過程でイアン・ギランが復帰したというのは判らなくもないのですが、未だにあなたとは冷戦状態にあると聞いています。 どんな方法でコミュニケイトしているんですか?
R : 話は殆どしない。 するとしても、電話でほんの少し話すだけだ。 もうお互いにお互いのことをよく理解しているから、近づく必要がない。 私がテーブルのこちら側に座ったら、イアンは反対側に座るだろう。

──そういうことを繰り返していて問題はないのですか? バンドの在り方としては極めて不健全とも思えるのですが……。
R : 長い時間の中で、問題らしい問題はなくなった。 何故なら、私はシンガーとしてのイアンが大好きだし、彼の人間性も充分に認めている。 しかし、だからといって彼と常にベタベタ一緒にいて色々なことをやる必要はないんだ。 2人が一緒にいると、2匹の虎が1つの檻に押し込まれているように、何が起こるか判らないからね。 「イアン、元気かい?」「お陰様で元気だよ」……2人が交わす会話はこの程度だ。 あとは“Perfect Strangers”のビデオにあったような握手を交わすだけだ。 (笑) 
この年になると、こういった付き合い方は結構いいんじゃないか…と思い始めている。 お互いに心から尊重している部分があれば、たとえその人が嫌いでも好きでも余り関係ないんだよ。 私は個人としてのイアンに興味がないし、彼にしたって私がどんな人間かということについて興味を持っているとは思えないな。
しかし、ステージに上がった瞬間から私達の関係は一変する。彼の歌い方は最高だ。 いつも彼の歌は私を笑い転げさせる。 そして、私も彼が笑えるようなプレイをする。 オフでのイアンは私にとってただのクレイジーでしかないし、彼にとって私はとても退屈な奴だと思うんだろうね……。 もし、私とイアンを括る共通の言葉があるとすれば、それは“反逆精神”だ。 私達は、共に学生時代からとても反逆的だった。 もっとも、彼は私に比べてずっと学があるから、自分のそういった怒りを詩にして歌うことが出来る。 私は早くに学院を辞めてしまったので、そういった才能がない。 そういう部分はとても羨ましいと思うよ。
未だに彼のパフォーマンスで忘れられないのは、
“Perfect Strangers” を観客に紹介する時のMCで「次にやるのは“Perfect Street Rangers” で、これはサッカー・チームのことを歌った曲だ」なんて言うんだ。

──それ、覚えてますよ。 1985年6月22日にネブワースで行なわれたショウの時ですね?
R : そうそう…何で知ってるの?

──見に行きましたし、後で「KNEBWORTH 85」というタイトルでレコード化されて、そのMCもノーカットで入ってますよ。
R : そうか。 で、これは彼の大好きなサッカー・チームである『QUEENS PARK RANGERS』に引っ掛けてジョークにしたものなんだけど、観客は何を言っているのかさっぱり理解出来ずに唖然としている。

──僕もそうでしたよ。 ダジャレだというのは判りましたが、何と引つ掛けたのかが判らなくて……
R : だと思うよ。 で、その意味を察した私だけが大笑いしそうになったけど、私と彼は仲が悪いということになっているから彼のジョークに笑うわけにもいかず、後ろを向いて爆笑していた。 (笑) 
でも、本当のジョークはこの後に来るんだ。 「今のは“Perfect Street Rangers”という曲だったけど、今度は違うよ」なんてカマすんだよ。 私達は“じゃあ、一体何をやるんだ!?”ということになる。 DPの場合、セット・リストは極めていい加減で、各々が自分の楽器近くにその晩プレイされるであろう曲目リストを貼ってはいるものの、それは必ずしも正しいとは限らない。 だから、1曲終わる毎に各々が確認しなくてはならないんだけど、イアンがそうやってジョークを飛ばしていると、イアン・ペイスとジョン・ロードはいつもパニックしている。 (笑) ジョンなんていつも気取っているから、そうなると大変なんだ。 (笑) 私も時々そうなるが、むしろそれを楽しんでいることの方が多いね。
殆ど口をきかない私達だけど、もう1つ共通していることがある。 それは2人ともショウ・ビジネスが大嫌いだということだ。 イアンはプレスが真面目になればなる程、不真面目になる。 だから、彼のインタビューに同席するのは大好きだった。 あれだけ表情を変えずに失礼なことが出来る人間も珍しいからね。 インタビューアがシリアスな顔をして愚問を投げかけると、彼は「失礼します」と一言断ってから、インタビューアにケツを見せる。(笑) こういうユーモアは最高だ。 ジョンやロジャー、イアン・ペイスには決して真似出来ないね。 いつも、インタビューで一番つまらない答をするのはロジャーなんだ。 (笑) アタリマエのことを、いかにもってな顔をしながら話す。 (笑) 

──真面目なんですね?
R : いや、ユーモアが欠如しているだけだ。 (笑) 

──表沙汰にされている情報によると、ジョー・リン・ターナーはレコーディングの途中で「楽曲が良くない」と言って出て行ったとされていますが…それとも、彼はクビになったのですか?
R : 何とも言えないんだけど、まず、彼が曲を気に入らなかったというのは必ずしも正しくない。 彼は、彼なりのやり方で曲に関わりたいと言った。 つまり、もっとポップにしたいということなんだ。 私もポップは大好きだし、ABBAなんか未だに聴いているけど、ジョンにしろペイスにしろポップは苦手なんだ。 ま、ペイスはただドラムが叩ければいいからどっちでもないんだけどね。 (笑) 私としては、双方の言い分が理解出来るからかなり悩んだよ。 ジョーはポップでセンチメンタルなものが大好きなんだ。 同じ曲でイアンが歌ったヴァージョンとジョーのヴァージョンがあるけど、前者は戦闘している戦車のイメージで、後者はセンチメンタルなポップスになっている。 本当に私としてはどちらも捨て難かったので困った。
結論から言うと、ジョーはクビに近い状態で辞めたが、それは彼が一番最初にトイレに立ったからなんだ。

──エッ!?
R : ふざけていると思われるかもしれないが、どのバンドでもみんなが集まっている時に、最初にそこから離れた者は噂される。 悪口とか…

──会社と同じですね?(笑) 
R : そう…「俺は、本当はヤツとやりたくないんだ」とか「新しいキーボードを入れよう」とか「そろそろドラムを替えた方がいいんじゃない?」とかね。 (笑) 

──ハハハハ・・・・・・
R : 笑ってるけど、本当の話だよ。 私は、そうやって解散していく多くのバンドを目撃してきた。 繰り返して言うけど、バンドのミーティングで一番最初にトイレに立ってはならない。 その場でするぐらいの勇気がないと駄目だ!(爆笑)キミもなるべく定時に帰らない方がいい。 (笑) 

──……なるほど。 (苦笑)
R : で、ジョーがトイレに行った途端、誰からともなく“別のシンガーを入れた方がいいんじゃないか!?”という話になった。 すると、ロジャーが「イアン・ギランが暇を持て余しているけど、どうだろう?」と言うんだ。 すかさず、私が「またヤツは裸で人々の前を走りまわるのかなァ!?」などと言うと、ロジャーの懸命なフォローが入り(笑) 、「決してそんなことはないと思う」とムキになって弁護する。 (笑) 私としてはロジャーをからかったつもりだったんだけど、彼には理解して貰えなかった。 (笑) 
ま、私がイアンのことをどんなに嫌っていたとしても、彼こそがDPのシンガーなんだ。 1984年に再結成した時も、私のところにデイヴィッド・カヴァデールから「参加したい」という申し入れがあったが、即座に断った。 「イアン・ギランでなければ意味がないんだ」とね。 デイヴィッドが素晴らしいシンガーであることに間違いはないし、ジョーだってそうだ。 でも、例えばイアンの歌がラジオから流れると、それを耳にした瞬間にヤツだと判る。 しかし、ジョーだとすると“もしかしてSURVIVORのヴォーカルかもしれない”と迷うことがあるよね?(笑) 勿論、ジョーのことは大好きだよ。でも、今、彼には休息が必要なんだ。 声の調子が良くないからね。 1年程休んだら、また一緒にやることがあるかもしれない……判らないけど…。

──ジョーが辞めた後、RIOTのマイク・ディメオに触手を伸ばしたそうですね?
R : サッカー仲間として親しかったし、歌も上手いんだけど他の4人が猛反対した。 だから、実現しなかったんだ。

──ニュー・アルバムの楽曲はジョーに合わせて書かれたものですよね? それをイアンが歌うということでキーを変えたりしたんですか?
R : DPの場合、いつもありのままをテープに記録する。 シンガーがどう歌うかなんて、ヤツらの問題であって、私には関係ない。 時には、ただ変わった雰囲気が欲しいためにE♭なんていうとんでもないキーで書いてシンガーを困らせることがあるけど、それはDPの伝統だ。 (笑) 

──伝統は大切にしたいですね。

(笑) 

GENERAL SIDE(PART II):

過去に使ったリフでも気に入っていれば、他のメンバーの承諾を得て再使用する

──さて、「THE BATTLE RAGES ON」アルバムですが、プロデューサーの1人、トム・パナンジオについて教えてください。
R : 事はフロリダの某ナイト・クラブで起こった。 私は自分達のアルバムを耳にすることは殆どなく、そういった機会はたまに行くナイト・クラブでしかない。 で、その時に“King Of Dreams” が流れて久し振りに聴いていた。 我ながら“結構いい音がしてるな”と思ったんだけど、続いて流れてきた曲の方がよりダイナミックな音だった。 同席していた友人に「これは誰だ?」と訊くと、「ジョーン・ジェットだ」と言う。 私は早速、次の日にブルース・ペイン(DPのマネージャー)に電話して、そのプロデューサーを押さえるように言ったんだ。
その昔、日本に行く度に赤坂の『ビブロス』でアルバムのチェックをしていた。 自分達の曲よりインパクトのある曲がかかるとDJブースに行って誰の作品か訊きまくったよ。 何故なら、そういった環境で人々は音楽と接するんだから、そこでいい音がしなかったら意味がない。だから、とても重要なんだよ。 少なくとも、そのジョーン・ジェットの曲ば私達のサウンドより大きかったし、音も良かった。 それはとても重要なファクターなんだ。
で、トムがやって来て作業が始まった。 とてもいい奴で、仕事もスムースにいった。 しかし、彼は最後までDPの本性を理解出来なかった。 (笑) 彼はとても普通の、真面目なプロデューサーで、バンドが用意したマテリアルを確実にスタジオでまとめあげていく人でね、毎日、心配そうな顔をして私に訊く。 「リッチー、きょうはどの曲を用意してきたんだい?」がロ癖になっていた。私が「用意してきたものは何もない。 でも、今、書くから心配ないよ」と言うと、「じゃあ、昨日のあの曲をもう一度やってみないか?」なんて、まだ心配している。 (笑) 今までDPが、いつもその時、その場のインスピレーションで作曲してきたというのが信じられないらしい。
DPは伝統的に優れたミュージシャンの集団で、私が何か1つのアイデアを提供すると他の4人がそれに即座に対応して作品を仕上げていった。 私は常にアイデアを出しては忘れていくが、それを覚えているのはジョンの役目で、忘れてしまったリフを忠実に再現してくれ、そうやって生まれた曲がDPらしいものなんだよ。 準備されたアイデアから出来上がったもの程、つまらない曲はない。 だから、最後の最後までトムにとっては謎だらけだったと思うよ。 まず、何故、自分が雇われたかも理解出来なかった筈だし。 (笑) 

──RAINBOWの後期からずっとプロデューサーとして関わってきたロジャーが、トムに対してジェラシーを抱くようなことは…?
R : 勿論、あった!(笑) 彼はいつもスタジオ周辺を歩きまわっていた。 (笑) 私がギターのオーヴァー・ダブとかをやっていると、その日は用がない筈のロジャーの姿を廊下越しに発見したりする。 (爆笑)ま、トムは最終的にロジャーのヘルプを必要としたから良かったんだけど…私としては、トムを試してみたかったんだ。一体、どういった変化が得られるのかね。
ロジャーは、実に忍耐強い人間だ。 私はロックン・ローラーだから10分もプレイすると飽きてくるが、彼はいつまでもスタジオにいることが出来る人間だ。 私が10分で録音したものを、10時間掛けて修整する。 とにかく、細かいことが苦にならないんだね。 口癖は“このピースはまだパーフェクトじゃないから…”なんだ。 私にしてみれば、ロックはパーフェクトじゃないところが魅力だと思うけど、彼はそれをきちんとやってくれる。いつも、彼の仕事振りには頭が下がるよ。 私が3年も前にプレイしたものを録音してあり、「このアイデアは良いと思うけど、もう一度やってみないか?」なんて言う。 私のプレイを譜面で再現してくれるのがジョンだとすると、ロジャーはそれを録音したテープで再現してくれる。 共に、とても大切なパートナーだと言えるね。 ロジャーは常にDPをバンドとして機能させるべく行動している。 他の4人は、ただプレイを楽しんでいるだけだ。 ロジャー・グローヴァーなしにみんなの期待するDPは有り得ない。

──なるほど。 で、アルバムの収録曲についてですが、まずはタイトル・トラックの“The Battle Rages on”……とても鮮やかなオーケストレイションが成され、再結成当時のDPを彷彿させますね?
R : この曲が仕上がる前、アルバム・タイトルは「VICIOUS CIRCLE」になる筈だった。 でも、イアンが“The Battle Rages On” の歌詞を書き上げて、それが余りにもインパクトがあったから、私がブルースに「アルバム・タイトルはこれにしよう」と言ったんだ。 ブルースは大笑いしながら「今のバンドの人間関係を見事に反映するタイトルだ」なんて言いながら大賛成してくれた。 ま、私としてはそれだけではなかったんだけどね。 (笑) この曲のリフ自体はもうかれこれ5年程前に作られたもので、RAINBOWの楽曲の中に同じようなものがある……。

──“Fire Dance” ですね?
R : そう…但し、テンポは倍だけどね。 私はこのリフがとても気に入っていて、色々なテンポでプレイしていた。すると、ジョンが「それ、いいリフだ。 曲にしよう」と言うんだ。 私が「昔の曲だよ」と言うと、「自分で書いたものなんだから別に悪いことじゃない」ということでこの曲が生まれた。 結果的に良かったとは思うが、なにしろ、未だにニュー・アルバムを聴いていないから何とも言えない……。

──エッ!? アルバムを聴いていないんですか?
R : そうなんだ。まだ仕上がったものを耳にしてない。

──ちょっと待ってくださいよ。 (笑) 嘘でしょ?
R : いや、マジで聴いてないんだ。 キミには誠に申し訳ないことをしたと思っている。 今夜、インタビューがあるというので予めアルバムを聴いておこうとブルースに電話したんだけど…彼はコネティカットにいて「ここにテープがあるけど、どうする?」って言う。 送ってくれと言ってもインタビューに間に合わないしね……本当に申し訳ない。 私が今までアルバムを聴かなかった理由は、きっと耳にすると「ここをこう変えたい、あそこをどうしたい」と言い始めるに決まっているからなんだ。 だから、ロジャーを信じて“きっといい仕事をしてくれたに違いない”ということにしたんだ。 ミックスはロジャー以外、誰も立ち会わなかった。 聞くところによると、ミックスはとても大変で6回もやり直したと言っていた。 凄いだろ? 彼は6回もミックスをやり直すことが出来るんだよ。 (笑) もし、私が2日間スタジオにいて、その間ずっと同じ曲を聴いていたら脳が爆発すると思う。 (笑) 私には、10分が限界だね。

──1stシングルとなる“Anya”のイントロでスパニッシュ・ギターを弾いていますが、あなたがスパニッシュ的フレーズやリズムをやるのは「SHADES OF DEEP PURPLE」アルバムに収録された“Hey Joe”以来ですよね? 今回はどういう意図があったのですか?
R : まず、この曲のベーシックを仕上げた時、この曲の持つリフがハンガリー民謡のスケールであることに気がついた。 日本にしろエジプトにしろ、その国独特の音階があるだろ? そこで、イアンに「これはハンガリーの香りがする曲にしたいね」と言ったら、彼はハンガリー語の辞書や文献を取り出してはそれをすべて読破し、必ずハンガリーに関する歌詞を完成させるよ…なんて意気込んでいた。 暫くして、イアンが“Anya”という言葉を見つけ、それをヒントにして仕上げた。 私がとても軽い気持で言ったのに、本当に彼は入れ込んでいた。これには驚いたよ。
質問のスパニッシュ・ギターのパートのことだけど、これはある日、スタジオで“Anya”をプレイ・バックしていた時にイントロが寂しいような気がしたので、何か加えようと閃いた。 で、たまたまそこにクラシック・ギターがあってね、それを使って何かスパニッシュなフレーズを弾いてみようと思った。 ロジャーに「20分だけこのギターを弾くから、そこで何か得られればイントロにするし、駄目ならたった20分のロスだ」と言って弾き始めた。
どんなスタイルでもそうだが、特にスパニッシュ・スタイルのギターはその場の情熱がなくては弾けないんだ。 その時、私はとても情熱的になっていたからすぐにやりたかった。 さすがにロジャーは私のことをよく理解していて、直ちにその場でマイクをセッティングしてくれた。 これが、明日やろうなんてことになったら、きっと私は「スパニッシュ・ギター!? それって何だっけ?」と、とぼけたと思うよ。 (笑) 結果は良かったんじゃないの!? 私はまだ聴いてないから何とも言えないけど、ブルース・ペインは「とても良かった」と言っていた。

──その“Anya”に、RAINBOWの“Stranded”のリフが登場しますカベこれはジョーを意識してのことですか? 最初は彼が関わっていたわけですし……
R : あれは確かに“Stranded”だよ。 私は古いリフでも、気に入っているものはついついプレイしてしまう。 でも、バンドにはきちんと断るよ。 それで彼らも良ければ、それはそれで“良し”だからね。 別にジョーとは何の関わりもない。

──“Ramshackle Man” はBOOKER T & THE MG'Sの“Green onions” からパクってますよね。 (笑) 
R : “Green onions”はよく知っているけど、“Ramshackle Man” て、どんな曲だっけ?

──あのねぇ…(笑) (リズムを口ずさむ)
R : ああそれね。 それ、アルバムに入っているの?

──入ってますよ! ったく、しょうがねぇなァ。 (笑) 
R : そうなんだ!?ギターも入ってる?

──勿論! じゃなきゃ収録しないでしょう、普通…
R : ということは、私が弾いているんだろうね。

──…………。 (このオッサン、何考えてんだよ!)
R : いや、よく覚えていないんだよ。 ほんのジョークでやったつもりだったのに…。

──“Ramshackle Man” の後半のギター・ソロに代表されるとおり、全体的に今回のアルバムはギターが前面に出ていて、前作「SLAVES AND MASTERS」アルバムよりは満足していると思いますが?
R : うん。 イアンとジョンが「ギターがデカ過ぎる」と文句をつけていたらしいが(笑) 、私としては好都合だよ。自分で聴いてみないと判らないけどね。

──ギター・プレイに関して、今までと違ったアプローチでレコーディングした点はありますか?
R : いや、いつもどおりだ。 ただ、人と違う点があるとすれば、アンプのスピーカー・キャビネットをスタジオの屋根裏にセッティングして録音したことだ。 ドイツのスタジオには素晴らしい屋根裏があって、そこにスピーカーを仕込むと凄くラウドでいい感じの音で録音される。 最初、エンジニアは不思議そうな顔をしていたが、いざ音を出してみると驚嘆していた。 今、あのスタジオを使っている連中は、みんな、そうやってギターを録音しているんじゃないかな。 (笑) 

──“A Twist ln The Tale”はアルバム中、最も速い曲ですが、エンディングはユニークですよね? これはよくあるHRの速い曲に対するアンチテーゼとしてこういったアレンジをしたのですか?
R : 確かにあれは意識的なアレンジで、本当に録音している最中に思いついたことだった。 何故かシャッフルに行きたい気分になって、ああなった。

──そして、この曲をアルバムのオープニングにしなかったのも、よくあるHR/HMアルバム的にしたくなかったという考えもあってですか?
R : というか、単にアルバムのオープニングには向いてないということだね。 ま、構成に関しては私は一切知らない。訊く相手を間違えているよ。 きっと、曲順を決めたのはブルース・ペインだと思うから彼に尋ねるといい。 それにしても困ったね、“Green Onions”(と思わず言ってしまう)がアルバムに入っているなんて全然知らなかった。 あれは、あくまでもボーナス・トラック的な扱いで録音されたものだった。 まさか正式なトラックになっているなんて……。

──ということは、何が正式なトラックになるべきものが外されているということですか? 一体、今回は何曲ぐらいレコーディングされたんですか?
R : 今、それを考えていたところだ。 “Solitaire”は入ってる?

──ええ。ホラ、9曲目です。 (カセットを見せる)
R : そうか…何があるか後でゆっくり考えてみるけど、なんか窓から物を投げ飛ばしたくなったりして…(笑) 

──このテープ、あげますよ。(笑) それにしても僕が感心するのは、DPにしろRAINBOWにしろボーナス・トラックをアルバムに入れませんよね? 最近の日本盤はそれで商売しているようなところがあって、とても嫌なんですよ。アルバムというのはコンセプトでないにせよ1つのドラマじゃないですか? それをボーナス・トラックはブチ壊しますからね。
R : 判るよ。 でも、私達だってボーナス・トラックをリリースするよ。 キミが言ったとおりアルバムには収録しないが、シングルのB面でよくやる。 これはDPのコレクター達のためにやっているんだ。
私とロジャーは熱狂的なボブ・ディラン・マニアでね、子供の頃から彼のリリースするすべてをコレクションしていた。 正規盤から海賊盤、7インチ、12インチEPまで殆ど持っている。 あと、バディ・ホリーもコレクションしている。 昔はシングルのB面になっている曲の方が、A面よりもいいということがよくあった。 A面は何も判らないレコード会社のA&Rが決定するが、B面には口を出さずアーティストの好きな楽曲やヴァージョンを収録する場合が多かったからなんだ。 だから、アーティスト本来のメッセージはB面に託されている。

──だから第5期の“Son Of Alerik” が素晴らしい曲にも関わらずアルバムから外されたというのは、そういった理由が存在したわけですね?
R : いいところに気がついたね。あれは正にそれだ。 いつもどおりジャム・セッションの中から生まれた曲で、私とロジャーはとても気に入っていたが、ただ長過ぎる(約10分)という理由で、どうにもならなかった。

──それでカナダと一部ヨーロッパでのみ、シングルのB面としてリリースされたんですね?
R : そういうことはロジャーに訊いた方がいい。 (笑) 

──ニュー・アルバムの曲で気に入っているのはどれですか? ここにレーベル・コピーがあります。 (笑) 
R : エーッと…まずは“Anya”だね。 とてもメロディアスだし…“The Battle Rages on”もいい。 “Lick It Up”だって? こんな曲は知らない。 どんなやつだろ?

──さっき差し上げたカセットを後で聴いてくださいよ。(笑) 2曲目だからすぐ出てきますよ。 (笑) 
R : わかった。 (笑) “Time To Kill” は気に入らないんだ。 ジョーがその曲の別ヴァージョンを歌っていて、その歌詞、歌メロでいくつもりだったからね。 だから聴くのは嫌なんだ。 “A Twist ln The Tale” は速いヤツだよね? これは好きだ。 “Nasty Piece Of Work” は私が思いついたタイトルで、一時はアルバム・タイトルにしようと思っていたくらいなんだけど、これがどの曲かは…

──どうせ判らないんでしょ?(笑) 
R : そうなんだ。見当もつかない。

──自慢してどうするんですか!(笑) 
R : イアンが、私の考えたタイトルを元に作り上げた曲だと思う。 “Solitaire”は“イアンには辛いかもしれない”と心配していた。 オリジナルはとてもメロディアスで、正しくジョー・リン・ターナーといった感じだったからね。 “One Man's Meat” も私が付けたタイトルだけど…どんな曲なんだろう?(笑) 

──もういいですよ。(笑) 訊いた僕が間違っていました。 (笑) 何しにここまで来たのやら…(笑) 
R : 本当に申し訳ないね。

(笑) 

FANATIC SIDE:

裁判沙汰にならなくてラッキーだったけど、“Child In Time”は盗作した曲だった

──それではここでマニアックな質問に移ります。 25年間もDP…というよりはあなたのファンをやっていると、“DPの七不思議”なるものがあるんですよ。 答えて頂けますか? 思い出すのは大変でしょうが…
R : なるほと……“七不思議”か…但し、これはきょうの答であって、明日になれば別の答を用意するかもしれないけど………

──判ってますよ、いつものことですから。 (笑) で、まず最初は…IT'S A BEAUTIFUL DAYというバンドを御存知ですよね?
R : ああ、それね。よく知っている。 そう、キミが推測しているとおり、私達が盗作したんだ。

──……そうハッキリと結論をいきなり言われると困るんですが(笑) 、1970年に発表されたDPの“Child In Time”が、1969年に発表されているIT'S A BEAUTIFUL DAYの“Bombay Calling” にソックリで、つまり、DPがパクったとしか思えないわけです。ところが、同じ1970年に発表されたIT'S A BEAUTIFUL DAYの2ndアルバム「MARRRYING MAIDEN」には、1969年にDPが発表した“Hard Road”(Wring That Neck)にソックリな“Don And Dewey”(この曲は文化放送でオン・エアされていた“レモンちゃん”こと落合恵子がDJを担当していた『今晩は、落合恵子です』という番組のテーマ・ミュージックに使用されていた)という曲が入っていて腰を抜かしたんです。(笑) 正に“盗作合戦”というか、“やられたらやり返す”みたいなんですけど、裏事情を教えてください。
R : まず…私達は1968年に彼らとツアーをした。 当時、彼らにはヴァイオリニスト(デイヴィッド・ラフレイム)がいて、“Bombay Calling” をやっていた。 それを聴いた私はジョンに「あれはとにかく格好いいから似たようなことをやろう」と言って、ジャムっていた。 それにイアンが歌詞をつけたのが“Child ln Time”というわけだ。 だが、面白いことに、1972年になってから彼らが私達の音楽出版社(著作権管理会社)を訪ねてきて、「キミ達の曲を盗作したけど、キミ達も2年程前に我々の曲を盗作している。 だからお互い様ということで片づけないか?」と言ってきた。 とてもラッキーだったよ。 (笑) なにせ、先にパクったのは私達なんだからね。 (笑) 

──で、2つ目は、今、話に出た“Hard Road”なんですが、途中から“Wring That Neck” というタイトルに変わりましたよね? 何故ですか?
R : それに関しては、私にとっても謎だ。 あの曲は少しブルーズ的だったから“Hard Road” というタイトルにしたんだけど、アメリカでは“Wring That Neck” と呼ばれている。 イギリスでは“Hard Road”でとおっているよ。 とにかく、これについては今の今まで正式な説明を受けていない。

──つまり、テトラグラマトン・レコードの指示だったということですね?
R : 多分…テトラグラマトンとプロデューサーのデレク・ローレンスの仕業だろう。 デレクはとんでもない量のコーヒーをいつも飲んでいたから、それで“Wring That Neck” (これはwring a person neck―首をひねる、しめる…という言い廻しに引っ掛けたジョーク)になってしまったんだろうね。 (笑) 

──ハハハハ…さて、3番目の不思議ですが、'70年代の途中でフィル・ライノットとイアン・ペイスの3人でBABY FACEというバンドを組みましたよね? そこにジョン・ロートン(vo/ex-LUCIFER'S FRIEND〜URIAH HEEP〜etc.)が参加する筈だったというのは事実ですか?
R : 事実だよ。 だから、バンドは4人編成になる予定だった。 1971年にほんの数日間スタジオにこもっただけでね…駄目になった理由は幾つかあった。 まず、THIN LIZZYがブレイクしたし、ペイスはイマイチ乗り気じゃなかった。 DPをつぶしてまでやる必要はないと思っていたみたいだよ。 私はその時、DPを脱退しようと思っていたから好都合だった。 私の場合、いつも1カ所に居られず、放浪したくなるからね。 バンドの名前はキミの言うとおり、BABY FACEになる筈だった。 ジョン・ロートンはいいシンガーだよね。

──“Guitar Job” はその時の録音なんですね。
R : それ、何?

──あなたのコンピレーション・アルバム「RITCHIE BLACKMORE - ROCK PROFILE VOLUME ONE」の17曲目に収録されている1971年の未発表曲で、ギターとドラムしか入っていないんですが、明らかにドラムはイアン・ペイスなんですよ。但し、クレジットはDPになってますけどね。
R : ベースも歌も入っていないのにリリースされているわけ!?

──そうです。
R : それって酷い曲なんだろ? 参ったね……(と言って頭を抱える)これだから時々スタジオに入るのが嫌になってしまうんだよ。 だって、録音したものはいつどこでどのような形でリリースされるか判らないんだからね。 フィルは素晴らしいパフォーマーでベーシストだったけど、シンガーとしては余りにもレンジが狭すぎた。低いところしか歌えなかったからね。 ということは、“Painted Horse”という曲を知っているよね?

──ええ。 「WHO DO WE THINK WE ARE」アルバムの時のアウト・テイクですよね?
R : そのとおり、よく知ってるね。 あれだってもう途中で投げてしまったのに、あんな形でリリースされるんだから嫌になるよ。 レコード会社なんて、何でも金になると思えばリリースするんだ。

──ジョン・ロートンを気に入っていたようですが、誰か他の候補者もいたんですか?
R : いや、初めはトリオ編成にするつもりだった。 フィルに歌わせてね。 ところが、さっきも言ったようにレンジが狭いからジョンを入れたんだ。 彼は当時ハンブルグに住んでいて、ドイツからわざわざやって来た。 他の候補は落ち着いて考えないと思い出せないな。

──次は…今の話に関連があることなんですが…DPの海賊盤は無数出回っていますが、あなたの海賊盤に対するコメントを聞いたことがないので教えてください。 例えば、EL&PやPINK FLOYDなどは海賊盤を回収したり、裁判を起こしていますが、あなたの場合は一見無頓着のように思えるのですがいかがですか?
R : 海賊盤屋に知り合いがいる。 (爆笑)それに、私は海賊盤が嫌いではない。 さっきも言ったけど、自分自身もコレクターだからね。私が困るのは輸入盤だ。 アルバムがリリースされるとバンドはツアーに出る。 これはアタリマエのことなんだけど、すぐに世界中を周れるわけではない。 でも、輸入盤屋はすぐ世界中に、一番早くリリースされた国のアルバムをばらまくからたまったもんじゃない。

──日本のレコード会社も輸入盤対策に必死ですよ。
R : だろ? レコード会社がどんなに緻密なリリース・スケジュールを組んでも台無しだ。 でも、法律が改正になり、これからそういうことが出来なくなったらしい。これで一安心だよ。

──5番目は…“Black Night” が「IN ROCK」アルバムに収録されなかったのは、シングル用として後から作られたから…とされていますが?
R : あの曲は確かにアルバムの録音が終わってから録られたものだ。 アルバムをレコード会社にプレゼンテーションしたら「シングル用の曲がない」と言われたんだと思うよ。 で、仕方がないから、まずはみんなでパブに行って酔っ払い(笑) 、それからスタジオに戻ってその場で書いたんだ。 イギリスではチャートの2位まで上昇したけど、いつもああいう感じで出来るといいんだけどね…とにかく、出来上がった曲はレコード会社の狙いどおりだった。 (笑) でも、面白いのはイギリスで2位になったのにアメリカでは何も起こらなかった。 対照的に“Smoke On The Water” は全米でビッグ・ヒットになったのに、イギリスではどうにもならなかった…。

──続いては……イアンとロジャーが加入したばかりの1969年、DPのライヴはインプロヴィゼーション中心でしたが、これは第2期のレパートリーが少なかったからですか、それとも、そういった音楽――CREAMやジミ・ヘンドリックス・タイプを追求していたからですか?
R : 勿論、それは後者だ。 私としては当時、イアン・ギランの持つポテンシャルを試していた。 彼がどのくらいキャバシティのあるシンガーかをね。 結果は素晴らしかった。 どんなことをやっても、彼は彼なりについてきて、尚且つ、私をインスパイアしてくれたからね。
私が信じられないのは、毎晩同じショウを繰り返すバンド達だ。 一体、どういった精神構造をしているのか信じられない。

──まったくです。台本があるライヴ…あんなものはロックではないですよ。
R : うん。 私の場合、ツアーの3日目でもう完全に飽き飽きしている。だから、常に楽曲をいじるんだ。 違うイントロやエンディングを付けたり、ソロを長くしたり短くしたり……その日毎の発見がなかったら、ショウなんかやる意味がない。 観客の様子いかんでは違うキーでスタートさせるなんていう馬鹿げたことすらやるよ。 一番大切なのは、自分は間違っていないという顔をすることだ。 (笑) 少しでも動揺しては駄目!いかにも“オマエ達、どうした!?”という顔をしなくてはね。 (笑) 

──では、七不思議の最後です。 第1期DPはBEATLESやROLLING STONESなどの曲をカヴァーしていましたが、あなたが「STORMBRINGER」アルバムをリリース後、DPを脱退する直接の原因となったのは“Black Sheep Of The Family” のカヴァーをやることを他のメンバーが阻止したからとされていますが、これは本当なんですか?
R : そうだね。直接の切っ掛けはそれだった。 でも、それ以前に問題は山積みされていたから、その事件が突破口だったという感じだ。

──それにしても不思議ですよね。初期の頃、散々カヴァーしていた他のメンバーが反対するなんて…。
R : ああ。 私は“Black Sheep of The Family” をとても気に入っていて「ぜひやろう」と言ったけど、メンバーの1人が「自分達で書いたものではない」という理由で却下した。 それも「曲はいい」と言っておきながらだよ。 私は「それは違う」と言い張ったが、でも、駄目だった。

──それは誰だったんですか? デイヴィッド・カヴァデールですか、グレン・ヒューズですか?
R : いや、彼らにはそういう決定権はなかった…ということは残る2人…つまり、ペイスかジョンのどちらかだね。私のロからは言えない。キミが判断してくれ。

──つまり、ジョンですね。だって、どう考えてもイアン・ペイスがそう言ったとは思えませんよ。 (笑) 
R : ま、ここまで話したんだから、今夜はキミにすべてを打ち明けよう。 当時、私とジョンは本当に仲が悪かった。 それはある事件に起因することなんだけど、私達は第2期の頃、リリースされる曲はすべて5人の共同クレジットにしていた。 しかし、本当に作業していたのは私とロジャーとイアン・ギランだった。 当時、ジョンはバンドの成り行きにそれほど熱意を持っていなくて、リハーサルにも常に遅れて来ていた。 そんなジョンのいない時に誕生したのが“Strange Kind Of Woman”だった。
しかし、いざそれがリリースされる段になって、私達はジョンに確認した。 「この曲を書いた時、キミはいなかったんだからクレジットはしないよ」とね。 だが、彼は「自分もバンドのメンバーだから、それは駄目だ」と言う。 今、思い出すと本当に笑ってしまうが、そういったことのメッセンジャー的な役割りを果たすのはいつもロジャーなんだ。 (笑) 私は横で聞いているだけ。 その時のロジャーの真剣な顔って、本当に笑えるよ。 イアン・ペイスがクレジットされていたのは、彼の熱意によってリハーサルが常にオーガナイズされていたからなんだ。 でも、ジョンは本当に何もしていなかった。
今、私とジョンは完全に上手くいっているから、これ以上この話はしたくないけど、あの当時はそんな状況だった。

──七不思議はこれで終わりです。細かいところまで説明してくださって助かりました。勿論、まだ知りたいことは山程ありますけどね。

(笑)
R : 本当はキミの方が詳しいんじゃないの?(笑) 

GENERAL SIDE(PRART III):

RAINBOWの再結成は絶対にありえない!ブルーズ・ロック中心の別のバンドをやる

──では、再びジェネラルな質問をしたいのですが…1968年にDPを結成してから脱退するまで7年間在籍し、その後、RAINBOWで8年間活動しました。 でも、再結成DPは来年で10年を迎えるわけですが、何か不思議な感じがしませんか?
R : DPは深入りすればする程、ハマるバンドだ。 いい意味でも悪い意味でもね。 私自身、再結成してからは随分視野が広くなったと思っている。 だから今ジョンをとてもよく理解出来るし、また、それまで10分しか熱中出来なかったギターに20分も情熱を傾けられるようになったが、これもDPとジョンのお陰だ。 きっと、こんな感じで続いて行くのだと思う。 私達も年を取るけど、ファンも年を取り、最後は担架に酸素マスクで演奏し、それを聴くなんて日が来るのかもね。 (笑) 
不思議なことは何もないよ。 きっと、このまま行くんじゃないかな……この間、大好きなPROCOL HARUMをTVで観たけど未だに良かったし、それにEL&P。 キース・エマーソンを越えるキーボード・プレイヤーは未だにいない。 本当に大した人だと思うし、こうした状況を考えると私達だってまだまだやっていける…そんな気がしてならないんだ。 だってそうだろ? MOTLEY CRUEを聴いても、何か昔に自分がやってきたことを、いかにも新しそうにやっているのを見て面白いと思えるかい? それよりも、80歳になったチャック・ベリーのダック・ウォークの方がよっぽどインパクトがある。(笑) だから、今の私達は再び充実している。 イギリス人は、特に30歳過ぎると、とても保守的になり、「もうそんなことをやっている年じゃない」なんて言うけど、それは絶対に違う。

──25年たって、自分が丸くなったと思いますか?
R : 性格が丸くなったというのは正しくない。 人の言うことにも耳を貸せるようになった、と言うべきだろう。これは人のためではなく自分のためだ。 人の言うことを聞いた方が自分にとって良いこともある、ということを認知した。 若い頃はただひたすらに反抗したかっただけで、その反抗は大した意味を持たなかった。 そして、損をしたのは自分だった。 いつまでもそれを続けていくことは出来ないが、でも、それは性格を変えることとは違う。
私は若い頃、イギリス人独特のエゴイズムに嫌気がさしてドイツに渡った。 そのままイギリスにいると、訳もなく反抗し続けているような気がしたからね。 ドイツでは最初、言葉に不自由したがそれもボディ・ランゲージで解決することが出来たし、何か自分の中で自由になれたんだ。 どこかで線を引かなくては自爆するところだったからね。 年と共にバランスの取り方が上手くなったという感じだよ。

──初めの頃こそギブソンES-335やVOXのAC-30アンプを使ってプレイしていましたが、25年のキャリアの殆どをフェンダーのストラトキャスターとマーシャル・アンプでとおしてこられました。 同じように、25年間浮気せずにあなたのファンをやってきた人達に御言葉を頂けますか?
R : ハハハハ…よくもまあ、そんな長いこと、間違った人生を歩んでしまったものだ。 (笑) いやいや、そうじゃなくて、本当に信じられないくらい嬉しいことだよ。 何故なら、私はそのファンでいてくれる人達と何一つ変わらない普通の人間なんだ。 ただ、10代の時、何かに反抗したくてその手段としてギターを持った。 そして、ただひたすら続けてきた。 何も考えずに続ける方が、途中で止めてしまうより100倍マシだからね。

──もう一度お訊きしますが、25年間幸せでしたか?
R : 私は自分が幸せだと思ったことは一度もない。 それに、私には幸せの基準というのが理解できないんだ。 悲しみというのはギターを弾いていて、マイナーなメロディをプレイしている時、何故かメランコリックな気持になりよく体験する。 しかし、幸せを実感したことはないんだ。

──では、後悔することは…?
R : もし、今まで自分が傷つけてしまった人がいるなら、それに関しては後悔しなくてはいけないと思うが、だからといって、それをそのままにしておけるものではないし、仕方がないと考えるしかないんだろうね。

──最後の質問です。先日、イアン・ギランにインタビューした時、彼は今回のDPに関して“DEEP PURPLE PROJECT” と称んでいました。 これはあなたが今後、RAINBOWを再結成させる予定を踏まえての言い方ではないかと勘繰っているんですが…?
R : RAINBOWの再結成はない! でも、もう1つ、別のバンドを始めるよ。 もうメンバーもいるし、音楽的方向も固まっている。 年と共に、HRばかりやっているのが辛くなるし、もう少しブルーズ・ロックみたいなものにトライしようと思っている。 しかし、今はそれを大々的にやる時ではない。 今はDPに全力を注ぎ、プロモート及びツアーをやるべきだ。 そして、これが一段落したら自分のバンドをスタートさせ、55歳になったらDPのみんなと再会してバンドをやりたいね。

──(くど)いようですが、その挟間にRAINBOWを…というアイデアはないんですね?
R : ありえない! それはマネージャーに固く言ってある。 多分、レコード会社は私の新しいバンドを“RAINBOW”と呼びたがるだろうが、それは断じて許さないし、とにかく“RAINBOW”という名前が大嫌いなんだ。気に入っていたのは初めの1年だけだ。 ニューバンドの名前は“なんとかMOON”になるかもしれない。 というのは、私の祖先は“BLACKMORE”になる以前、MOONだったんだ。 だから、そこから名前を考えるかもしれない。

──誰が参加するか、ヒントだけでも頂けませんか?有名なミュージシャンばかりですか?
R : そんなに有名ではない……そうだなァ…ロジャーは一緒にやると思うよ。 もしかすると、ジョンにも関わって貰うかもしれない…といってもメンバーではなく、アレンジャーみたいな形でね……。

──今夜は長い間、本当にありがとうございました。
R : 礼には及ばぬ。 (笑) いや、こちらこそありがとう。 ところで、ロンドンに行ったの?

アルバムの完パケを聴かずにインタビューを受けたことに対して、リッチー・ブラックモアは本文中にもあるとおり、私が恐縮してしまうほど何回も謝罪したが、ロンドンでのスッポカシ事件については一言もエクスキューズしなかった。 多分、マネージメントとの行き違いか、さもなければ他に理由があったのだろう。 インタビューが終わった時、彼は「ロンドンヘ行ったの?」と訊き、私は「ええ」とだけ答え、その件についての話はそれ以上進展しなかったし、私も追求したくはなかった。
文字ではその場の様子が伝わりにくいが、身振り手振りに加えて、ジョン・ロードの気取ったポーズ、無名のプロデューサーの登場でジェラシーに燃えるロジャーの表情を自ら作りながらのリッチーの話に、私や同席していたレコード会社の担当氏、スタッフは薄暗いダイニング・ルームで悶絶していた。
イアン・ギランとリッチー・ブラックモアの言い分、状況説明を比較して、どちらが悪いといった結論を出すのは愚の骨頂である。 しかも、2人共、割り切っているから、修整不可能な間柄に事情を知らない第三者が首を突っ込むことは出来ないわけで、憂い悲しむ必要もない。 例えば、DOKKENの末期のように、バンドが断末魔の悲鳴を上げているわけではないし、ステージに立ってもソッポを向き、MCの途中でギタリストがイントロを大音量で弾き始めるという愚かな行為もDPには有り得ない。 “割り切った大人の交際”が存在しているだけだ。 ただ、客観的に見ると、イアン・ギランの方が被害妄想になっているのではないかと感じられるのだが……。
また、DPとは別のバンドをやることについて、そのメンバー構成を多少語っているが、インタビュー中の「ジョーとはまた一緒にやるかもしれない」という発言から推測すれば、そのバンドのシンガーにジョー・リン・ターナーが迎えられる可能性も大なのではないか?という穿った見方も出来るし、目指す音楽性がブルーズ・ロックというのもキー・ワードになると思うのだがいかがだろうか……。
インタビュー終了後、リッチーは私を別の店に誘った。 店内のスピーカーからジミ・ヘンドリックスやTHREE DOG NIGHT、TROGGSといった60's、70'sが流れている。 リラックスした雰囲気の中、上機嫌な彼はビールを注文、話はDPのコレクターズ・アイテムから様々な国の税関での珍事件、更には腰痛の治し方にまで及んだ。 「椅子に深く腰掛け背脇を伸ばす」といったことを自ら演じながら…。 加えて、「ヒールの高いブーツは穿かないこと」とも言う。 「こういうやつですね」と私が自分の足を上げてリッチー・ブラックモア・モデルの白いブーツを見せると、「ああ、そういうのが一番良くない」と平然とした顔で言うので、「あなたがいけないんですよ」とツッコミを入れた。 一瞬、苦笑した彼は私に決定打を浴びせる。 「太りすぎが最も悪影響を及ぼす」。今度は、私が苦笑する番になった。
その後、話はリッチーの大好きなサッカーのことになり、HMアーティストの中では「スティーヴ・ハリス(IRON MAIDEN)はかなり上手い」と評し、「ジョー・エリオット(DEF LEPPARD)も悪くない」と言っていた。 リッチーのチームはFW2、MF5、DF3というシフトが基本形で、時にはそれがFW3、MF3、DF4になる場合もあるそうだ。
また、今年の5月に、日本で発足したJリーグについてもよく知っており、「リネカーはまあまあだが、リトバルスキーは素晴らしい。 私は彼がドイツのナショナル・チームに在籍している時から大ファンなんだ」と教えてくれた。
そのリトバルスキーが所属するジェフ・ユナイテッド市原のサポーターズ・チームの名称が、イアン・ギランがDPで初めてレコーディングした曲のタイトル(Hallelujah)と同じであることをリッチーは知らない。 しかし、こじつけだと言われようが、私にはそんな偶然にも、リッチーとイアンの間に目に見えない因縁めいた糸が存在しているように思えてならない。
恐ろしいまでの磁力を持ち、メンバーや多くの新旧ファンを引きつけてしまうDP。 どんなにボロボロになっても、私は彼らを見守り、一生付き合っていくのかもしれない。 そんな酔狂な人生を選んだ自分に、今はただ苦笑するだけである……。
悲観主義者であり、幸せだと思ったことは一度もないリッチーには申し分けないが、同じ主義者であっても、私は25年間幸せだった。 そして、これからも“御老体バンド”と言われようが、どんなに酷評されるような音楽をやろうが、彼や彼らが出すone noteに耳を傾け、同じ時代に生きていたことに感謝し続けるだろう……。 ■■