
『クレヨン王国シリーズ』は1980年以来、講談社青い鳥文庫で毎年数冊づつ刊行されている児童文学シリーズだ。
現在、全28タイトル、累積発行部数500万部を数える人気シリーズである。
昨年9月よりABC系列で『夢のクレヨン王国』としてテレビアニメ化され、『なかよし』誌上での漫画化などメディアミックス展開がなされている。
僕は『クレヨン王国シリーズ』は、非常に奇妙で、複雑で、幻視的な作品だと思っている。
このシリーズでは異世界「クレヨン王国」とこちらの世界の境界ははっきりしない。
「クレヨン王国」は日常の世界と重なりあい、入り混じり、あるいは日々見ている景色自体が「クレヨン王国」になる……あらゆるものが生命と意識を持ち、僕たちが通常持っているリアリティの感覚自体が揺さぶられる。
しかもそんな内容のものが、エンターテイメントとして書かれていることが、僕にはたまらない魅力なのだ。
福永令三氏は熱海在住の69歳。
現在も新作を執筆中だ。
突然の取材申し込みに快諾をもらった僕は、すぐに熱海に向かった。
1998年6月3日。
あいにくの雨模様のなか、熱海駅に降り立った僕を、福永令三氏はにこやかに迎えてくれた。
「晴れておれば十国峠の方にご案内したのですが」と言う福永氏に導かれ、僕はMOA美術館へ向かった。
熱海市街を見下ろす山腹に建つ、巨大な美術館である。
このとき僕は、福永氏のゆるやかな物腰と、予想していなかった歓待に、少しとまどっていたと思う。
美術館の人口から本館までは、長大なエスカレーターが結んでいる。
エスカレーターは何度も折れ曲がる建物の中を進み、先を見通すことができない。
内装は白く統一され、オレンジ色や紫色の間接照明が壁を照らす。
さすがは世界救世教の施設らしい演出と言ったところである。
だが、微笑みを絶やさずにいる福永氏に従い、延々と伸びるエスカレーターに乗り続けていた僕には、ここが異世界・クレヨン王国へ続く回廊であるかのように感じられていた。
おかしな話だが、ちょうど『クレヨン王国シリーズ』の主人公たちが、クレヨン王国の住人によって、「クレヨン世界」に導かれる場面のように感じられたのである―――。
──僕は、テレビアニメ『夢のクレヨン王国』で、初めて『クレヨン王国シリーズ』の存在を知りまして。すごく楽しい、素晴しい作品だと思っているんですけれど、本来の読者である「子供」ではないんですね。
そこでまず『クレヨン王国』がどういう層に読まれているか、というあたりからお聞きしたいと思います。
福永 読者の手紙がね、毎日来るんです。
女の子が圧倒的に多いですね。
中学の二年、三年から高校生、大学生……それからもう就職している人たちが多いですね。
それも「小学生の頃から読んでいますわ」という人が非常に多いですね。
──ずっと読み続けてるんですね。
福永 ええ。
一度手にしたら、なかなか卒業しないんですね。
男の子の読者も、たまにはいるんですね。
一昨年、『クレヨン王国』の挿絵の原画展がありまして、私もサイン会に出たんですね。
そこで、中学のときからずうっと『クレヨン王国』を読み続けている男の子がいたと言う学校の先生かいましてね。
その子が非常に優秀な子なのに、これは一体なんという本だろうと思って、ご本人も読んでみたそうなんです。
そしたら、なるほど、彼が魅かれるのもよくわかるとか言って、遠くからサイン会に来てくれたんですよ。
──ただ、子供の本の書評集とかを見ても、『クレヨン王国』はまったく取り上げられていないんですが。
福永 結局、自分で、面白くて次が読みたいから買うような子供が、読者なんですよ。
おこづかいで「この本を読もうか」と言って、自分で選んで買っていくという、親も全然タッチしていないような本なんですね。
私は、それが童話の本来あるべき読まれ方だと思っています。
『クレヨン王国』には、泣きたい人にも、笑いたい人にも満足する場所がある、ミステリー好きの人も満足する場所がある。
みんなが、それぞれ自分で読んで「ああ、ここが面白かったな」という部分が用意されているんです。
だから非常に多くの読者に喜んでもらえている訳ですね。
──どういうきっかけで童話を書かれるようになったんですか?
福永 モービル石油の児童文学賞ってのを、昭和38(1963)年に取ったんですよ。
それまでは童話作家になろうなんて思ってなくて、ずうっと大人の小説の練習ばかりしていました。
それこそ、何万枚も習作を書いておったんです。
それが、モービル児童文学賞の懸賞金が70万円だったんですよ。
当時のことですから、一年間は何とか持つくらいの金額でしてね。
ちょうど金もないし、行き詰まっていたときだもんですから、それは一生懸命やったんですよ。
あとひとつには、審査委員長が川端(康成)さんだったんですよ。
私は川端さんをたいへん敬愛しておりまして、卒業論文も川端康成論で書いたという人間ですから、川端さんが選者かあ、それじゃあひとつ童話もやってみるか、ということで、応募したんです。
そしたらもう、童話作家が我も我もと、すごく殺到しましてね。
童話作家はみんな食えませんから。
それで運良く私が当選したんですけれども、それが『十二色のクレヨン』という童話だったんです。
それがねえ、私は書いているうちに長くなるのが常なもんですから、原稿を削って規定の30枚にするのが大変だったんですよ。
それで、せめて300枚あったら、もっと面白いものが書けるのになあ、と思ったんですね。
それが、その翌年の『クレヨン王国の十二か月』というのになったんですね。
──先生が(モービル児童文学賞の前に)「オール読物」で新入賞を取られた『赤い鴉』(註1)の中にも、小道具で「十二色のクレヨン」が出てきますよね。やはり、はじめから「クレヨン」に何か特別な意味があったんでしょうか。
福永 そうですか。
じゃあやっぱりそういうのがあったんですね。
私は気がつきませんでした。
──えっ。
気がつかなかったんですか?
福永 もうね、書き終わったものは、みんな忘れちゃいますよ(笑)。
どんどんどんどん、書き終わったものは、それはもう、出てっちゃったものですから。
今度書くものとか、あるいはいま、心の中に残っているものとかを、どういうふうにつないでいくか、ということしかないですね。
──……それで『十二か月』で講談社児童文学新入賞を取られて。
福永 ええ。
それから、その年にまた、別の懸賞に当選しまして。
これも子供の小説の連載だったんですね。
それまで、大人の小説で書いてきたものは、なかなか世に出るものがなかったんだけれども、子供の童話だと、書けば全部当選するわけで、こりゃ子供向けの方が自分には向いているかな、ということが童話を始めるきっかけだったですね。
……とは言っても、それっきりのことだったんですけどね。
それで仕方がないから、自分の家で学習塾(註2)をはじめて、それから……18, 9年のあいだ塾を続けていました。
それから、昭和55(1980)年になって、講談社が「青い鳥文庫」を始めるときに、私の『十二か月』を最初の30冊に入れてくれたんです。
それが一年くらい経ってみると、『十二か月』の売り上げがだんぜんトップになったんですよ。
それだもんだから、講談社の人が熱海までやって来て「とにかく童話を書いてもらいたい」と頼むんですね。
私はもうそのとき、塾が非常に好調で、書くのを止めていたものですからね。
「私はいま、塾経営で充分な年収があるけれども、もう一度児童文学に戻ったら、またゼロになってしまう。
その収入は保証してくれるのか」と言ったんですよ。
そしたらもう非常に口のうまい人で、「ええ、すぐそうなりますよ」と言うんですよ(笑)。
じゃあ話半分として、少しづつ塾の仕事を減らして、暇を見てやっていきましょうということで『クレヨン王国』の続きを書き始めたんですね。
まあ塾で毎日、新しい子供と接しているものですから、子供の役者には事欠かない(笑)、ということもありましてね。
それから塾をやめて、童話一本で行きましょう、となったのが……平成になってからですね。
──先生は子供のころ、どういうものをお読みになっていたんですか。
福永 それはね、私は、小学校あがる前から、新聞の連載小説を読むのが大好きだったんですよ。
当時の新聞は、全部にルビがふってあるもんだから、小っちゃい子供でも読めたんですよ。
でも、子供が読んでいると、親は怒らないけれども、まあ、あまりいい顔はしないですね。
──それは大人の読むものだから。
福永 それだもんですからね、もうすごい早起きなんですよ。
大人が起きない先に新聞を取って読もうという魂胆でね、4時くらいになるともう、「新聞が来るかなあ」って耳を澄ませて待っているんですよ。
それで新聞が来ると、そうっと起きて一番先に新聞の連載小説を読むという具合だったんですよ。
ですから、子供のときにね、そういう面白いお話をわくわくしながら読んだというのが、一番の財産になっていますね。
そのうち、自分もそういうものを読ませる側になりたいなと思ってね。
小学生のときには、自分で雑誌を作ってたんですよ。
その当時の雑誌というのには、小説でも、それぞれの分野の目次があったんですよ。
「時代劇明朗小説」とかね、「ユーモア小説」とか、それぞれあるんですよ。
それを全部自分でやろうと思ったんですね。
それで、黄色い藁版紙を四つ切りにして、時代劇だとか、ユーモアなんとかだとか、そんなのを授業中に書いて綴じて、遊んでいたんですね。
──それは、友達に見せたりして。
福永 そんなことはないんですね。
作るのが楽しい(笑)。
──どちらかというと、家で本を読んだり、何か書いたりしているような子供だったんですか。
福永 本はむちゃくちゃたくさん読んでいましたね。
まあでも、新聞を読むもんだから、朝は早起きでしょう。
読むのはすぐ読んでしまうんですよ。
それであと、ご飯のしたくができるまで、二時間近くあいだがあるわけですよ。
そのあいだにね、自転車に乗って走り回るんですよ。
朝早いですから、誰も人がいなくってね。
充分自分の世界だ、という感じで駆け回って、遊び回ってね。
夏なんかまだ電灯がついているところに、カブトムシとかいろんな虫が、ばーっと集まっていたり、それから、ヤママユっていうこおんな大きな蛾がいるんですよ。
その大きな蛾がべたーっと、こう貼りついていてね、そういうのを見つけるのが一番の楽しみでしたね。
──『クレヨン王国』では、自然の生き物とかが非常に生き生きと描かれていますけれど、やっぱりそういう体験が基礎にあるんでしょうか。
福永 昆虫採集とか、植物採集。
そういうことがとっても好きでねえ。
色というものが、とても不思議なもんだなあ、と思ったのは、やっぱり昆虫とか植物とか、そういう生き物の色を見てのことなんですよ。
タマムシでも、アオカナブンでも、みんなそうですね。
捕まえて見てみると、本当にきれいな色で、それはクレヨンとか絵の具というものでは表現できないような色で、これは人に伝えることもできないような種類のね、色なんですよ。
植物でも、例えばモッコクという木があって、それが春になると新芽を出してくる。
その色が、茶色とは言えない、灰色とは言えない、てらてら光っているけれども、青みがかかってちょっとこう、塩ようかんのような色でもなし、なんか何色とも言えないようなもののね……そういうものの世界というのがね、今になると、非常にずうっと心に残っていたと思いますね。
昆虫採集、植物採集……あとは、朝顔と、金魚がうんと好きだったですね。
終戦後、これからは金魚屋がいいなあ(笑)、と思いましてね。
──は。
金魚屋ですか?
福永 金魚なら簡単に飼えるし、焼け跡できれいなものが何にもないから、みんな金魚を飼うだろうと、そんなことばかり考えておったんですよ(笑)。
子供の頃、家に丁稚奉公していた人の家が弥富(註3)の金魚屋で、バケツに金魚を一杯、60匹くらい、家の池に持ってきてくれたんですね。
それで、はじめに60匹全部に名前をつけるんですよ。
──それ見分けがつくんですか?
福永 もちろんつきます。
それからもう、朝早く起きたり、学校から帰って来たりすると、ずうっと金魚を見てるんですよ。
金魚がきれいだから好きというのもあるんですけど、名前をつけるのがほんとうに好きで。
子供だから簡単なものでね。
例えば、大きい奴は「親」なんですよ。
だから、白くて大きい奴は「シロオヤ」という具合です。
ところが、飼い方がいい加減なものですから、一年もたつと死んでしまって、もうあらかたいないんですよ。
死んだ奴を埋めるのも自分の仕事で、木の下を「金魚の墓」と決めて、次々と死んでも同じ場所に埋めるものだから、前に埋めた金魚の赤が、こう掘ると ちらっと見えてね。
土も臭いし、それで魚が食べられなくなっちゃった。
──「小アジのキラキチ」(註4)はその体験からなんですね。
福永 そうですね。
やはりどきっとして、胸に堪えるものがありましたね。
今でも川魚は食べられませんね。
──やはり熱海に移られてからは、周りの自然が格段に豊かになって。
福永 ええ。
そうですね。
私の家族は戦後まもなく、熱海に移りましてね。
熱海ではじめに私が驚いたのはね、二月から三月にかけて、十国峠の方に行く山道に、本当にきれいな黄緑の葉っぱが、本当にわあーっとこう出てるんですよ。
これがもう、実にきれいなんですよ。
それがね、何回も見るうちに、葉じゃなくて、みんな花だと分かったんですよ。
二月の下旬に、オオバヤシャブシという木の花が咲いて、そのあとキブシっていう花が咲き始めるんですよ。
それからクロモジとかね、シバヤナギとか、次々と咲くんですよ。
それがねえ、みんな若葉の色をしているんですね。
そして一面に吹き出してくるから、その花はみんな葉っぱだとばっかり思ってたんですよ。
そのときね、「花だからきれいなのはあたりまえだな」と思うのと同時に、「何で花がきれいなんだ?」と考えたのが、自然に対して一番はじめに持った疑問なんですね。
自分が、虫とか蝶々みたいに花の蜜を食べるのであれば「花はきれいだ」と思うのは訳が分かる。
でも、そうでないのに、この世の中にいるすべての人が「花はきれいだ」と思うのはどういうことだろうと思ったんですね。
ただ色彩がきれいだという説明では、満足できないものがあったんですよ。
それでだんだんだんだん考えていって、たどりついた結論というのはね、花は「共存のシンボル」だから、きれいに感じるんだということだったんですね。
──共存のシンボル?
福永 花というのは、虫とか鳥とかを呼ぶために植物が作り出した新しいシステムな訳です。
シダ植物とか、裸子植物しかなかった昔には、花というものは存在しなかった。
だけどもそこに、虫がたくさん出てきたために、植物は自分の受粉を虫に託そう、と思うようになったんですね。
しかしそのときに、同時に植物は虫にずいぶん食べられているはずなんですよ。
だけどもね、そういう虫と手を握っていこうと決心して、植物はそれぞれの虫にあう形態の花を作っていったんですね。
そうやって、虫に蜜をあげましょう、花粉をあげましょう、ということにしたんですよ。
これはすごいことだなあ、植物というのは偉いんだなあ、と私はそのとき、はじめて思ったんですよ。
人間に例えると、この世界にある日突然、訳の分からない異星人がやってきて、それが人間を取って食ったりすると。
そういうときに、その異星人を歓待して「ごちそうをあげましょう」というふうになれるかということになりますね。
なかなかそうはいかないですね。
兵力を集めて攻撃しようというふうになるのが当り前でしょう。
──普通に考えるとそうですね。
福永 ところが、植物はそうじゃなくって、花を用意して虫と共存しようという道を選んだ。
その植物の「一緒にやっていきましょう」という気持ちというのが、人間が見たときに「花はきれいだなあ」と感じる根本にはあるんだなあ、ということが分かったんですよ。
暮らしの中でも、人が外から来たときに、花を飾って迎えますね。
それから結婚式、これから新しい生活で出発するというときに、花を飾りますね。
あるいは亡くなった人が、あの世に行くときも花をもって送る。
ということは、みんな新しい、別の世界と共存するというシンボルとして、花がそこにあるということなんです。
人間は、そういうふうには分かっていないかもしれないけれど、花を「きれいだなあ」という目で見ているということは、実はそういうことなんだなあ、と思ったのが、第一なんですね。
……自分でもって、自分でわかったということは三つしかないですよ。
あとのことは他からの知識を借りながら、わかっていったことなんです。
あとふたつもお話ししましょうか。
──ええ。
福永 今度は動物の話なんですけどね。
ライオンの一生の物語を書いてくれ、という人がいたんで、名古屋の東山動物園の半年定期を買って、ライオンを見に行っていたんですよ。
そしたら、ライオンが、自分の子供に対して、ほんとうに優し〜い顔をするんです。
そのとき私は「ライオンは言葉が喋れないから、自分の表情でもって、自分の子供に教育をしているんだな」と思ったんですね。
ライオンは自分が優しい顔をして「これからこういう顔をしなさいよ」と子供に教育しているんだな、と思ったんですよ。
もしも、ライオンが、生きていくのに一番必要なものが、腕力とか、力だと思っているんなら、子供に対して非常に怖い顔をしたに違いないですね。
でもそうじゃなくって、優し〜い顔をしているということはね、「これから先、生きていくのには、優しさが一番大事なんだよ」と教えているんだと思ったんです。
その帰りの電車で、赤ん坊を遅れた人が乗ってくると、周りの乗客がみな赤ん坊に優しい顔をするんですよ。
私はそれを見て「赤ん坊を見て嬉しいから、それで優しい顔をするんじゃない。
やはり人間も、表情で子供に教育しているんだな」と分かったんです。
それが分かって見るとね。
童話というのは、子供がはじめて出会う本だから、子供が一番必要とするものでなければならない。
だから、読んだあとに「人に優しい」という気持ちが起こるような本でなければならないのだな、と思ったんですね。
それがひとつの指針になったですね。
最後のひとつはね、やっぱり東山動物園に、マレーグマという熊がいたんです。
私は、毎日えさをやるところを見ていたんですよ。
普段は、輪切りにした生のサツマイモがえさなんですが、それがあるとき、湯気のたったふかしたイモを飼育係が持ってきたんですよ。
それを見たら、マレーグマが、口の脇からだらだらーっと、あっと驚くような量のよだれをね、垂らしたんですよ。
ものすごい量のよだれが、檻の端から端まで流れたんですよ。
──(笑)それはすごいですね。
福永 大好きな物だと、唾液というのはあんなにも大量に出るものなんだ、ということを目の当りにして、私はああーっと思ってね。
なるほど、あれほどの消化液を出せるのだから、好きなものに対するときには、自分の体の能力というのは、200%、300%という割合で、どっと出てくるんだと思ってね。
それなら人間でも、本当に好きなことをやっている者にはかなうわけがない。
そう思ったんですよ。
それで、自分は小説を書くのが好きなんだから、それをやっていくより仕方がないし、他に行ったって、そこにはそれが好きな人がいるんだから、太刀打ちできるわけがないと思ったんですよ。
それで、私は、これからどうしようかとか、迷わなくなりました。
──それは、何歳のときですか。
福永 25, 6歳のころですか。
ちょうど、家の工場の残務整理を手伝いに、名古屋に戻ってたんですね。
──花の話にしても、ライオンの親の話にしても、どう自分と違うものを受け入れるかというお話ですね。ただ、とかく「優しさ」と言うと、反射的に底の浅いものだととらえる人が多いように思います。僕自身、「優しさ」という言葉だけを見ると、少し構えてしまいます。
ですから、不安とか、恨みとか、そういうマイナスの感情を表現するのに比べて、真の意味で「優しさ」といったプラスの情緒を表現するのが一番難しいと思うんですよ。
福永 ……それぞれ、いろんな人があってもいい、というふうに思っていますね。
まあ自分はこういう担当だと思っていますけれど(笑)。
──その、福永先生に対して、不本意な批判というのはいろいろあったと思うんですが。
福永 私が小説修行をしている頃の創作の人は、みんなリアリズムの人ばっかりだったんです。
私は「どぶどろリアリズム」って呼んでいるんですが、それは、どんなきれいなものでも、その奥を探して行って、汚いものを見つけて「あ、世の中こんなもんだ」と安心するという種類の見方ですね。
ですから、すぐ二言目には「そんなのはきれいごとだ」「あなたの小説には『現実』がない」って言うんですよ。
汚いことが人生の真実だと言うんなら、それは、そういう人に任せて、私はきれいごとを書くのが作家だと思っている種類の人間だし、きれいなことを読みたい人もいるはずだと思っています。
だから、そっちの方をやるんだ、という姿勢でいるんですね。
人間にはきれいなところも、汚いところも両方あって、それで人間であるわけでね。
そうすると、こっちの方が主流じゃないかと思うんですよ。
──でも僕は『クレヨン王国』は、ただの「きれいごと」だとは思わないんです。例えば、自分自身が自分ではない存在に次々に変わっていったりする話がありますよね。例えば「小アジのキラキチ」は、生きているアジから、小アジの南蛮漬けになり、最後は土になる。その間、キラキチの自我は、お弁当のおかずの自意識にもなるし、土の自意識の一部にもなるわけですよね。僕は、いま、「自分自身が何であるのか」という不安が、いちばんつらい、切実な問題になっているとも思うんです。
それが、『クレヨン王国』では、自分が自分自身の身体に宿っていることの不確かさ自体を認識させられた上で、自分の身体以外の場所からの視点もあるんだよ、という世界観が提示されるんですね……例えば、無機物(註5)にもなったり。
福永 ん? なりますよ、それは。
──自分の体と世界との境界が曖昧になるような話が多いですよね。
福永 こういうことを言うと笑われるかもわからないんだけれども、私は、いま、ここにいる自分になるまでに何万回となく生まれ変わっていると思ってるんですよ。
植物でもあったり、虫でもあったり、鳥でもあったり、みんな、そういうものになっているんだと思うんですね。
だから、他の者のことが、自分のこととして感じられたり、分かったりすると思っています。
普通、生まれ変わりと言うと、自分は過去には何であって、未来は何になるという、過去から未来へ一方向に流れる時間に沿って考えますよね。
しかしそうではなくって、いま、この世の中にあるあらゆるものは、かつて自分がそうだったもの、自分がこれからそうなるものなんだと思うんですよ。自分の両親もそうであるかもしれない、兄弟もそうであるかもしれない(註6)……そういうふうに思って眺めてみると、優しい気持ちにもなるし、あまり矛盾というふうに感じずにすむ。そういうふうに思いますね。
──なかなかそういう境地には……。いま、多くの人が抱えている不安の本質は、自分とは別の場所に「世界の中心」があって、自分はどこか端っこの方に置かれているという認識にあると思うんです。それで、社会的な立場とか、地位とか、文化的な派閥に属することとか、そういったことで、なんとか自分のいる場所を「中心」に近づけようとする。そういう努力は、社会が右上がりのうちは、全体を動かすエンジンになったかもしれないけれど、それも無効になってくると、不安だけが宙ぶらりんになる……。そこで、「自分が『世界の中心』なんだよ、いまいる場所が『中心』なんだよ」という自己認識と、「あなたもまた『世界の中心』なんだよ」というような他者の受容が今、最も重要じゃないかと僕は思っているんです(註7)。
福永 (不思議そうに)自分が世界の中心なのは、当り前じゃないですか? どのみちそれが自然なんで、私はそんなことは意識して考えないですね。
──僕は『クレヨン王国』の、身体的なアイデンティティを回復するところが、ひとつの光ではないかと考えているんですよ。
福永 ……不安からは何も生まれないと考えればいいんですよ。
──でも、やはりアイデンティティの核に不安が食い込んでいて、なかなかそれを捨て去ることができない人は多いと思うんです。僕自身、そういう部分があります。あと「ナントカという表現はこうあらねばならぬ」というドグマも、同じ心理から出てくるように思うんですが。
福永 早稲田に入った頃、みんな盛んに文学論をやっていたんですよ。
私は、なんでみんな夢中になって、変な理論をこねまわしているんだろうなあ、と思いましてね。
実際、そうやって理屈を言っている人は、だんだん書かなくなって、離れていったんですけどね。
結局、好きで小説を書くということは、好きだからやるというだけのことで、特別そこに人間の真実を描くとか(笑)、そんなような見出しはいらないんじゃないですか(笑)。
そんな見出しをつけて自分を発奮させるというのは、書くことが好きじゃない人の考えることだと思いますね。
私は、自分の名前を世のみんなが知るようになる、そんな文章が書きたい、それだけですね。
それがあるんで、怠け心を起こさず、ずっと練習して、とにかく書いてきたというのはありますけどね。
ただ、大文学者になりたいとか、そんなことは思ったこともないです。
……まあでも私なんかより、小説なんか書いたことがなかったけれど書いてみたら当選しちゃったという人に話を聞いた方が、若い人には、明るい希望に満ちた話が聞けたんじゃないかと思いますけれどね(笑)。
──いや、好きなことは、とにかく続けていればいいのだ、ということが一番の希望なんですよ。それはいつ始めてもいいのだということも。
福永 そうですよ。
いまは寿命も長いんですから(笑)。
同時掲載
| 『クレヨン王国』と アニメ『夢のクレヨン王国』 |
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| 東映動画プロデューサー 関 弘美 氏 |
| 現在『夢のクレヨン王国』が放映されている、ABC系列の日曜日8時30分からの時間帯は、ここ13年くらいアニメを放映している放映枠でした。
私はこの時間帯で少女マンガ原作のアニメを手がけていましたが、対象年齢が10歳以上と上がっていました。 周りを見渡しても、他に子供向けのアニメ番組があまりなかったという状況もあり、子供向けアニメをきちんとやろうということで、『クレヨン王国』の企画が持ち上がったんですね。 児童文学のアニメ化は、マンガのアニメ化よりも手間がかかります。 でも『クレヨン王国』なら、それだけの手間をかける価値があると思ったんです。 主な視聴者層は、幼稚園から小学校低学年の女の子です。 だから、原作では大人の女性の「シルバー王妃」を、思いきって12歳の「王女」という設定にしたんですね。 アニメの「シルバー王女」は、欠点はいろいろあるけれど、今の女の子の等身大の姿です。 私は、大人に都合のいい「良い子」が主人公のアニメは作りたくないものですから。 子供たちも親しみをもって見てくれていると思います。 九月からは新しいストーリーが始まります。 今度はシルバー王女のお供に召使いの猫「プーニャ」(『王様のへんな足』に登場)が加わります。 お楽しみに。 |
| 『クレヨン王国』と「講談社 青い鳥文庫」 |
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| 講談社児童出版局 藤村真実 氏 |
| 『クレヨン王国シリーズ』のお話をするときは、「とにかく書店に行って見てください。
子どもの本のコーナーの『青い鳥文庫』の棚には必ず『クレヨン王国』がずらりと並んでいますから……」いつもこう、紹介することにしています。
『クレヨン王国シリーズ』の魅力は、子どもたちの方がきっとよく知っています。
編集部にも、読者の方からのはがきがたくさん届きますが、8歳から12歳の女の子が中心で、なかには30代なかばの方もいますし、親子二代で楽しんでくださってもいるようです。
福永先生と「青い鳥文庫」のおつきあいは、創刊当初から18年になり、担当者も私で何代目でしょうか。 ほんとうに優しい、ゆったりした不思議な雰囲気の方で、熱海のお宅に伺うときには「これから『クレヨン王国』の世界に行くのだ」という気持ちになります。 ご自分の作品に対し、とても厳しい姿勢で臨まれているので、原稿用紙に向かっていらっしゃる間は、うかつに電話もできません。 今回のアニメ化をきっかけに、よりたくさんの人が『クレヨン王国シリーズ』を手にとってくれれば、と思っています。 それで『クレヨン王国』面白いな、と思った若い人のなかから、児童文学を志すような人が一人でも出てきてくれたなら、それはほんとうに嬉しいことですね。 |