Ian Gillan

"BURRN!" Sep. 1993 - An exclusive Interview of 25th anniversary

不可解な復帰劇の主人公がその舞台裏と今も続くギタリストとの冷戦を激白!

by KOH SAKAI/EDITOR IN CHIEF

“BURRN!だからリッチー・ブラックモアのインタビューは可能”という伝説は、イギリス時間の6月24日、見事に崩壊した。
当日、別のマスコミの取材を受けるためにロンドン入りしていたイアン・ギランとロジャー・グローヴァーを含め、日英米のBMGレコードの担当者などすべての関係者がたった1人の男の病気(という理由)で振りまわされた。 挙げ句の果てに、リッチー派のマネージャーは25周年を迎えてニュー・アルバムをリリース、世界各国のメディアの取材解禁日という大事な時、こともあろうにどこかの島へ遊びに行ってしまい連絡がつかないという。 日本のレコード会社の担当氏や私が緊急連絡のために費やした東京への国際電話代の総額は楽に1千ポンドを超えた。
当初、日英独から各1紙のみのインタビューを受けると言い、日時・場所をマネージメントをとおして指定したリッチー・ブラックモア。 これは直前になって、小誌だけとなったが、結局、NYを離れる前日に耳の病気になり、飛行機に乗ると気圧の関係で悪化するからとのことでロンドンでの取材はキャンセル。 逆に、NYに来てくれということになった。 それを聞いたのが6月24日の午後2時。 しかし、その数時間後、NYでの取材もキャンセルという連絡が入ったのである。
ロンドンでの取材はリッチー・ブラックモア1人に絞り、他のメンバーは12月の来日時にインタビューすることが編集会議て決定していたとはいえ、このまま手ぶらで帰国するわけにはいかない、、たとえ3泊5日の強行スケジュールとはいえ、目的を持ってわざわざ来ているのだ。それが「出来ませんでした。 ロンドンでは知り合いのミュージシャンと食事をしたり電話で話をしました」では済まされない。 しかも、他の日英米独のマスコミがイアン・ギランやロジャー・グローヴァーの取材をしているのを横目で見ている。 このままでは、小誌だけが8月売りに何も載っていないという最悪の事態になってしまう。
イアン・ギランに事情を説明、30分でもいいから時間を貰いたい旨を伝えると快く了承してくれたが、並の人間なら激怒しないまでも、気分がいいわけはない。 「リッチーが出来なかったから、代わりにアンタでいいや」と言われたようなものだ。 (勿論、そんな気持は微塵もないが)私は、彼の広く暖かい心に深く感謝した。
デビュー25周年を迎えたDEEP PURPLE。 その記念すべきインタビューは予定変更、まずはイアン・ギランからスタートすることになったのだが……。

──今回の非礼とも言うべき私のリクエストに対し、快諾してくださったあなたの寛大なお心遣いに深く感謝します。
イアン・ギラン(以下I):気にするなって。 よくあることじゃないか?(笑)で、まずは俺がどんなギターの弦を使っているのかを知りたいんだろ?(笑)

──こういった事態を頻繁に引き起こす人間と再々びバンドをやったり、また、ある部分ではとてもいい加減なマネージメントと再度関わるというのはどんな気持ですか?
I: この件に関してはふたとおりの見方が出来る。 俺がもっと若かった頃、俺は自分の人生のすべてをDEEP PURPLE (以下DP)に賭けていた。 その時代は、ギタリストのとんでもない失礼な行動に毎日腹を立て、怒り狂っていた。 ライヴにおいて「今夜の客は俺が演奏するに値しない」などと暴言を吐きステージを降りてしまったり、インタビューに現われなかったり…それはもう数限りなくあるよ。
でもね、今はもう少し別の見方が出来るようになってきた。 もう、彼に何も期待していないし、期待するつもりもない、それでも、やはり彼がDPの一部であることは認めるし、彼が常に流動的だというのも認めるし、彼が自分自身のことを完璧であると思っていることも認めるよ。 それでも彼はギターが弾けるし、それによってクリエイティヴな時間を持ち、その時間を楽しめるのならそれで良しとしなくてはならないんだ。 彼のことを“まともな人間だ”なんて考えれば、周りの俺達は自滅してしまう。 彼はどんなことがあっても変わることはないし……真っ向うから立ち向かうと、とんでもない目に会うけれど、もう一段上に構えてそのエネルギーをこちらの必要としているように使いこなせれば、これはとてつもない威力を発揮する。 勿論、真っ向からブチ当たって大変なことになる方が多いけどね。 (笑)

──前回、マネージメントから電話でクビを言い渡された時、たまたまそこにいたあなたの奥様が「アナタ、良かったじゃないの。 これでアナタの好きなことが出来るワ」と喜んでくれたそうですが、今回の再々復帰について奥様はどんな気持でいるのでしようか?
I: 今回の復帰に関して、最後の最後まで反対した人間が2人いた。 1人は俺の女房で、もう1人は俺自身だった。 女房はとても頭が良くて、いつも物事を客観的に見つめ分析してくれる。 そういった意味で彼女をとても信頼しているんだけど、今回の件に関しては、もう2人の力ではどうすることも出来ないほどの巨大な力が動いたんだ。 もし、拒否したならば、それはとこからどう見ても俺がギタリストを恐れて逃避しているようにしか映らないようになってしまった。
俺はDPに関して、とてつもない愛情と愛着を持っている。 勿論、その愛情故にそれを限りなく憎んだ時期もあったが、基本的にDPは俺の身体の一部なんだよ、昔は身体の一部ではなく全部だったから、感情的になることが多かったんだけどね。 とにかく、今はこうやって“DEEP PURPLE PROJECT” に関われることか幸せで仕方ないんだから……。 若い時には気がつかなかったけど、そうやって創造と破壊を繰り返してでもDPは存在する価値がある。 俺自身がその時その時にバンドに対してベストなパフォーマンスを提供出来ればそれでいいことなんだ。 もし、ギタリストとの感情的なもつれがありそうな時には、もうそれには触れないで逃げ切るのが一番いいということを発見した。 相手にしなければいいのさ。 簡単なことだろ?
復帰については、事前に色々と打ち合わせをした。 特に、現在自分が関わっている数多くのプロジェクトのメンバー達や女房とね。 彼らにはハッキリと伝えてある。 「今、続けているものは俺の“PURPLE PROJECT”が終了したら即、続行しよう」ってね。 もう2年もプリ・プロダクションをやっているんだから早く具現化させなくてはならないし、それも俺の身体の一部なんだ。 DPが再び崩壊したら、そうやって帰る場所があるのは幸せなことだ。 俺はもうギタリストには何も期待していない! というか、常に最悪の状態を予想している。でも、それでいいんだ。 それで上手くいくことがあれば、何か得した気持でいられるだろ?(笑)
今回に関しては、もう既に大成功を収めたと言える。 何故なら素晴らしいアルバムを作り上げているからね。 これで明日崩壊しても、それはそれでいいし、もしも、この“PROJECT”がクリスマス、もしくは来年の3月まで持てばそれはとんでもない成功になるだろう。 しかし、ホントのところは誰にも判らないんだよ。 今回の…つまり、第7期(笑)がどうなっても、俺はもう不眠症になんか陥らないし、これまでの経緯で自分の本当の友達は誰なのか、そして、自分にとって本当に必要なモノは何なのかがよく判ったからね。

──お話を伺っていて、あなたも随分丸くなったという印象を受けたのですが、御自分では……?
I: 丸くなったかって?(笑)そういえばそうかもしれないね。 ま、簡単に言えば、俺は自分の感情を馬鹿げた戯言から守る術を身に着けたということさ。 だからといって、自分の仕事に感情移入を惜しんでいるわけじゃない。 例えば、自分の娘が父親に対して我儘をとおそうとする時、それによって自分が悩んだり、苦しんだりはしないだろ? それと同レベルで今の環境を捉えられるようになったということだ。 もうギタリストの我儘にアタフタしたり、怯えたり、爆発することはない。 そういう意味で言えば、丸くなったというよりは強くなったと言うべきかもしれない。

──世間は結成25周年記念ということで、ことさら騒ぎ立てていますが、あなたはオリジナル・メンバーではないし、途中抜けているし、バンド自体も存在していない時期もあったわけですから、それほど25周年ということに感慨はないと思いますが如何ですか?
I: 何かを祝うのにはいい時期だとは思うよ、25年というのはなかなか重みがあると思うし、節目にもなる。 加入する前、俺は(第1期の)アルバム3枚を持っていて聴いていたわけだから、いちファンからそこに参加出来たことはとてつもなく素晴らしい出来事だった。 だから、DPには本当に愛着を持っているし、その精神みたいなモノは未だに持ち続けている。 25年たった今、その精神を再び省みるのは良いことだと思う。 何故かというと、現在の音楽業界の主流はビジネスによって作り上げられたものだろ? 本来、ロック・ミュージックとはストリート・レベルから違い上がっていくものだけど、現在は誰もそのことに気づいていない。 すべてがビジネスになってしまっているからね。
これは旧東ドイツや旧ソビエトを自分で訪問してよく判ったことなんだけど、彼らにとって未だに“Child In Time” は日常を支えるメッセージ・ソングで、この曲の詩の内容が彼らを勇気づけている。 現在のグランジ・バンドの曲でこういったことは起こるのかね?と、真剣に考えてしまったよ。

──ま、無理でしようね。
I: ああ、そうだろうね。 彼らはホンの少ししか聞こえないラジオや音質の悪い海賊盤を一所懸命入手して、それに自分の人生を傾けてくれる……俺達が自分の人生を傾けてアルバムを作るようにね。 そういった人々と出逢ったから25周年を祝うのはいいことだと思うんだ。 それに今回のアルバムはDPの集大成的な内容に仕上がっているし、本当に良かったよ。 昔のDPを彷彿させる曲から“The Battle Rages on” みたいにコンテンポラリーな作品まで盛りだくさんだからね。 つい先日、自宅で「THE BATTLE RAGES ON」アルバムと「PERFECT STRANGERS」アルバムを聴き比べてみたんだけど、少なくとも、あの頃(1984年)のDPよりはもっと良くなっていて進歩もしているから、ニュー・アルバムはとても満足いくものだと思えたよ。

──今回のアルバムはそもそもジョー・リン・ターナーでスタートしていて、そこにあなたが後乗りという形で参加しています。 これについては25周年というイベントを盛り上げるためにあなたが金で買収されたという見方も出来ますし、同時にそれをペイ出来るだけの金儲けが出来るとマネージメントやバンド側、レコード会社が考えた策ということが囁かれていますが?
I: 金ね……ま、そういった話題は'70年代後半に再結成の噂が出た時や1984年に実際に再結成した時、みんなが寄ってたかって騒いだよ。 勿論、これはビジネスでもあるんだから金が絡むことはあるかもしれない。 でも、今回に限って言えば金の問題というよりは、本当に俺が心からDPに復帰したいと思ったからなんだ。 大した金をオファーされたわけじゃないし、それに俺が関わった段階では彼らはレコード会社から受け取ったアドバンスの殆どを使い果たしていた。 (笑)だから、電話で「イアン、やってくれるかい? もし“Yes”ならばチケットを送るよ」と言われ、“Yes”と答えただけなんだ。 俺の個人的な経済問題は一切関与していないし、第一、自分のバンドのために別のレコード会社からきちんと金を支払って貰っているからね。

──例えば、ギタリストとヴォーカリストが犬猿の仲でも再結成して欲しいとファンが願っているDOKKENと同じように、金が絡もうがギタリストが嫌な奴であろうが内情はどうでもいいんですよ。ファンはいい音楽さえやってくれればね。
I: ま、ミュージック・ビジネスというのは波の大きな仕事、浮き沈みの激しい社会で、時には何年もの間、一銭も稼げずに過ごさなくてはならないし、その後、2,3枚ヒット・アルバムが出れば今度は夢のような金が舞い込むこともある。 それについてはそういう世界だから仕方がないと考えているけど、俺の本音で言えば、常に自分が歌を唄える環境があればそれで満足なんだ。 小さなクラブだろうが巨大なフットボール・スタジアムであろうが関係ないし、時にはクラブの方が楽しめるくらいだよ。 特に、大きなアリーナというのはその会場自体が雰囲気を持っていて、そこにいることが実際にそこで演奏されている音楽よりも重要なウェイトを占めることがある。 つまり、観客も演奏する側も楽しいんだけど、それが純粋に音楽に感動しているわけじゃないんだ。 どちらかと言うと、参加することに意義があるんだよ。

──オリンピックの精神みたいなものですね?(笑)
I: ハハハ……そういうことだね。 それに対して、クラブは大変だよ。そこには音楽しかないからね。 音で観客を感動させられなかったら、もう逃げ道はない。 そういうプレッシャーは大好きだけど。
今、冷静に考えると、俺はやっと1人のミュージシャンとしての自分のパフォーマンスに全面的に責任を負えるようになったと思う。 以前、2回DPを離れた時――'73年自ら辞めた時、そして、'89年にクビになった時――、共にその後、何ヵ月も自分の生きる道を失っていた。 特に'73年は酷くて、18ヵ月にも渡って酒を飲み続けたよ。 でも、それによって学んだこともたくさんある。 一番顕著なのは、DPに在籍していた事実をメリットとして自分の音楽に取り組めるようになったということだ。 '73年に辞めた時など、自分の人生からDPに関わったすべてを抹消しようとしていた。 今となってみればとてもナンセンスなことだけど、当時は真剣にそう考えていた。 さっきも言ったけど、今度のDPは明日で終わるかもしれない。 いや、リハーサルまでは持つかもしれないし、ツアーにも出られるかもしれないが、今の俺は何か起きても恐れない。 駄目になったら、一番先に誰のところに電話をすればいいか、その手筈は整っているからね。

──もう一度確認しておきたいのですが、再々加入の要請があった時に躊躇しましたか、それとも“Yes”と即答したのですか?
I: 初めてその電話を貰った時には、もう返す言葉もなかったよ。 「今は自分のバンドで幸せにやっているんだから放っといてくれ! もう2度と俺にそんなことを言うな!!」と言って受話器を叩きつけた。 しかし、それからも何回となく電話が掛かってきた。 少なくとも、10回は電話で“No!”と言ったよ。

──10回も!?
I: いや、ひょっとすると20回、それ以上かもしれない。 (苦笑)そのうち、様々な人達が俺を取り囲む毎に 「リッチーがジョー・リン・ターナーをクビにしたんだってさ。 次はキミがまた戻るんだろ?」なんて言われ続けた。 そこでもう耐え切れなくなって、俺のマネージャー達とミーティングをすることになった。 決定的だったのは俺のツアー・マネージャーで、現在はマネージャーの1人に昇格したアル・ダットンとの会話だった。 アルはジェフ・ベックの元で18年働いてきたヤツでとてもキレるんだけど、彼が「イアン、もしもこのままキミがやらないと言い続ければ、多分、DPは消滅してしまう。 でも、“Yes”と言えば再び素晴らしい時間が過ごせるような気がするんだけど…」と言うんで決定した。DPに対しては大変な愛着があるし…。

──あなたはとても正直だし、人が良すぎますよ。
I: その言葉は俺を評価してくれているから掛けてくれたと解釈するよ。ありがとう。 ただね、こういう性格だと、時には大きなトラブルに巻き込まれるよね。 俺が確信しているのは、自分からオープンでいると失うことも勿論あるけど、必ずそれよりも得ることの方が大きい、ということだ。 周りの人も馬鹿ばかりではないから、自分がオープンでいることによって色々なモノを与えてくれる。 ま、難しいことの方が多いんだけどね。
例えば、アーティストが心から楽しめるレコードを作ろうとした時、レコード会社から反対されたりする。 彼らはビジネス・サイドからしか作品を見つめていないから、こちらがいくらオープンに作品に対する自信を語っても真っ向から却下されてしまうこともある。 こういった時にギタリストみたいにいつも自分のイメージを作りあげている場合、こちらもそれなりに彼らと交ることが出来るから便利だったりする。
しかし、俺にはそういったやり方は出来ないんだ。 今までに築き上げた自分の信用は、すべてオープンな形で作り上げたものだからね。 人生なんて、いつも橋のない川を渡るようなものだけど、どんな時にも諦らめずに待っていれば自分が掴まる岩が現われたり、川の水が引いてそのまま渡れるようになるものなのさ。

──4年振りに再会した時、ギタリストとの握手は、“Perfect Strangers”のビデオ・クリップに見られたような光景がまたもやあったんですか?
I: 殆ど同じだったね。 こんな感じだったよ(と、私の右手に触れるか触れないかの動作を繰り返した後、軽く握手をする)。 ドイツのスタジオのロビーにある卓球台の横で会って握手をした。 しかし、まず抜本的な問題として、ギタリストは俺の復帰を望んではいなかった、周囲の人間は「何も問題はない」と言っていたけど、本人と会ってみて、よーく判ったんだ。 で、まずはこんなエビソードがある。
俺とロジャー(グローヴァー)は“Time To Kill”を仕上げ、その出来に満足していたんだけど、ある日、スタジオで仕事をしているとロジャーが真っ青になっているんだ「どうした?」って訊くと、「きょう、リッチーがスタジオに来て“Time To Kill”の話をしたいらしい」と言うんだ。 その時、俺は何でロジャーがそんなに慌てているのか理解出来なかったけど、とにかくギタリストはやって来た。 暫くの間、顔を出し、他の曲について話し始め、その曲のブレイバックを聴きながら会話していたんだけど、そのうち彼は部屋から消えてしまった。
その後、3,4時間してからまた顔を出したので、俺の方から「“Time To Kill”について何か意見があるんだって?」と切り出してみた。 すると、何とギタリストは「とにかく、あの曲が嫌いだ」と言うじゃないか……その理由を訊くと、「まず、自分の書いたコード進行と“Kill”という言葉がマッチしない」と言うんだ。 だから俺は「ここで使われている“Kill”とは“殺す”という意味ではなく、時間をつぶすの“つぶす”だ」と主張した。 更に突っ込んで訊いてみると、ギタリストはなんと「ジョー・リン・ターナーの歌詞を使ってジョーの歌い方で唄って欲しい」と言うんだぜ!俺はハッキリ言って、驚いたよ。 昔だったらプッツ〜ンと切れてギタリストと大喧嘩になっていた筈さ。 もっとも、後で判ったことなんだけど、レコード会社側はこの“Time To Kill”を今回のアルバムに収録しないのなら発売はしないと注文していたんだ。 だから、それを最初から知っていたロジャーは慌てていたんだよ。 彼はプロデユーサーとして、バンドとレコード会社とのパイプ役をしなくてはならないからね。 もし、ギタリストの主張をとおすのであればアルバムは出ない。 そういうことだったんだ。 ま、お陰様で“Time To Kill”は評判がいいんだけど、ギタリストはライヴで絶対プレイしないと言うだろうね。

──つまり、結局は今回のアルバムの歌詞はすべてあなたが書き直したということですね?
I: そういうこと! ま、ロジャーが殆ど仕上げたものが2,3曲あるし、逆に俺1人で仕上げたものも幾つかある、でも、殆ど共作といえるね。 俺とロジャーは、常にほぼ同じ視点を持っている。 4年もの間離れていだのに、2日も一緒に仕事をするとお互いに元の勘を取り戻している。 俺達に与えられた時間は7週間、その期間に歌詞を書いて、更にヴォーカル録りを終えなくてはならなかった。 俺の記憶では“Nasty Piece of Work”は殆どロジャーのものと言えるね。

──アルバムの中で、歌っていて楽しかったもの、特に気に入っている曲はどれですか?
I: そうだなァ…何曲かあるよ。 歌っていて楽しいのは“One Man's Meat” かな…メロディーのアプローチが気に入っているんだ。 でも、一番好きな曲は“Lick It up”と“Time To Kill”で決まりだね。 勿論、来週同じ質問をされたら別の答えになるかもしれないけど。 (笑)

──1stシングルになる“Anya”はジプシーの女性について歌っていますよね? 以前にもジプシーの女性を題材にした曲を作っていますが、何かあるんですか?
I: これも単なるイメージの問題てね…“Gypsy's Kiss”という曲があったろ? これはコックニーのスラングで“小便をする”という意味なんだ。 俺はイメージを使うことが結構ある。 例えば、俺達が初めて日本に行き、余りにもその素晴らしさに魅せられてしまったから…

──“Woman From Tokyo” が出来た。 (笑)
I: というわけだ。 (笑)日本が素晴らしいからって“Japan, I Love You”というタイトルじゃ余りにも情けないだろ?(笑)でも、その気持を女性に託せば少しは(サマ)になるんだよ。 “Anya”のテーマになっているのは――ソビエトに行った時、そのついでにハンガリーも訪ねたんだけど――、ある村の村長と親しくなって色々な話を聞いていくうちに、彼らの余りの一途さに感動して、その精神性をジプシーの不屈の魂に例えているんだ。 ハンガリーの歴史は余りにも悲惨だし、事ある毎に政府がひっくり返っている。 でも、そんな状況下でも市民は自分達の魂を貫き通そうとしている。 素晴らしい国だよ。

──なるほど。 ところで、あなたが参加した時に受け取ったものというのはメロディーがないカラオケだったんですよね? バッキング・トラックを録っている段階から参加出来なかったことに関して抵抗はなかったんですか?
I: 逆に、助かったんだよ。 (笑)だって、俺がどんなに良いアイディアを出したとしても、そんなものが採用されるわけがないし、ギタリストは自分のアイディアだけでいいんだからね。 以前から、曲に関しては一切人の意見を取り入れたことがない。 俺は何回も目撃しているんだ。 ロジャー、ジョン(ロード)、イアン(ペイス)が一生懸命に曲のアイディアを練っている時に、ギタリストがギターを持って入って来ると、それはそこで終わってしまう。 バカデカい音でみんなのアイディアをつぶして終わりさ。 もっとも、彼にも不幸な面がある。 つまり、歌うことも歌詞を書くことも出来ないんだ。 もし、彼がそれをやったなら、本当のワンマン・バンドになっていただろうね。

──これまでお話を伺っていると、今回は1984年の再結成の時に感じたであろうマジックは体感出来なかったと思うんですが?
I: それがさァ…不思議なんだよ。 こんなに距離を置いてレコーディングしたアルバムなのに、1969年にみんなでスタジオにいた時のようなエネルギーを感じられるんだ。 過去のDPの作品と比べても、最新作はシャープに仕上がっていると思う。 何かとても変な言い方だけど、実にDPっぽいアルバムなんだよ。

──例えば、“Anya”や“Time To Kill” を次のワールド・ツアーのセットリストに入れたとすると“Perfect Strangers”や“Knocking At Your Back Door”といった同類楽曲とバッティングしてしまう難しさが出ると思いますが、その辺は如何ですか?
I: セットリストに関して、俺とロジャーは既に2月頃話し合って決めた。 しかし、現在のDPを取り巻く複雑な政治の中では俺達のセットリストなど何の効力も持たないよ。でも、選曲するのは楽しかったね。 第一、その気になればDPは10時間以上ものショウだって演奏することが出来る。 “Black Night” “Strange Kind of Woman” “Highway Star” などなど切りがない。 更に、今までライヴできちんと演奏されたことがない曲もたくさんある。 “Maybe I'm A Leo” “Mary Long” なんかがそうだよね。 こういった曲も入れて、セットリストを組んでみたんだけどね。 「今度、バンド・ミーティングでもある時に提出してくれ」と、マネージャーには渡してある。 でも、バンド・ミーティングというのは、7年に1度開かれるか否かといったものだけど…。 (爆笑)

──DPに加入したのは1969年でしたよね?
I: そう、1969年8月だった。

──DPのメンバーとしての初めてのレコーディングは“Hallelujah”で、ロイヤル・フィルとの共演前になるわけですよね?
I: そう。過渡期の作品だよね。 “Hallelujah”はDPのオリジナルではなかったし、昔のDPと現在まで続くDPの接点みたいなものだよ。 俺達にとっては記念すべき曲かもしれないが、ファンにとってはどうでもいい作品だった。

──でも、僕は自分のバンドでカヴァーしてました。
I: ……済まなかった。 (笑)“Hallelujah”を録った後で、俺達は本当に自分達の作品を書くことの大切さに気づいたんだ。それからは毎日、曲を書き続けた。 それが「IN ROCK」アルバムの始まりだった。 クラブで演奏し、それが終わるとスタジオに戻り2,3時間レコーディングする。 そして、次の日は大学の講堂で演奏し、またスタジオに戻ってレコーディング…というのが日課だったよ。 でも、とても不思議だったのは、それだけ活発に活動していたDPが得ていたギャラというのがEPISODE SIXよりも少なかったんだからね。 EPISODE SIXが一晩に200ポンドくらい稼いでいたのに対して、DPは一晩75〜125ポンドといったところだった。
というのも、俺達のアルバムはアメリカで大当たりだったけど、イギリスでは殆ど鳴かず飛ばずだったろ?だからなんだよ。 でも、いずれは何かが起こると、みんなが信じていたよ。 信じるしかなかったし、信じずにはいられなかった。 余りにもエキサイティングな演奏を毎晩やっていたからね。

──面白い話があるんですけど、“Hallelujah”の日本盤シングルのジャケットには第1期DPの写真が使われていて、更には、B面が第1期の“April”のシングル・ヴァージョンだったんですよ。
I: ヘーエ…日本のレコード会社は時々面白いことをやるよね。 昔、某レコード会社の人と大笑いしたことがあるんだけど、ホラ、日本盤てすべて歌詞を載せ、しかも、その対訳をつけるだろ? 面白かったのはその日本語の対訳を再び英語に訳したことがあって、これがもう殆ど別の英詞になっちまったんだ。 (爆笑)

──最後に……DPは25周年、あなたは24年ですが、振り返ってみて、その24年間は幸せでしたか? それとも……
I: いつも感情的だった。 それも、良い感情と悪い感情の両極端でしかなかったよ。 でも、後悔することは何一つない。

──その24年間、ずっとあなたのファンでい続けている人達には…
I: ただ一言……本当にどうもありがとう。 俺は常にキミ達のお陰で幸せだった……。

そう言い終えると、イアン・ギランは大きく息をついた。心なしか、目が潤んでいる。 それを見て、テープを止めた。 すると彼は「こんなに遠くまでわざわざ来てくれたのに……代わってお詫びするよ」と言い、頭を下げた。 私は黙って頭を下げることしか出来なかった。


愛憎劇の過中に自ら飛び込んでいったイアン・ギラン。 語呂合わせではないが、それはまるで“火中の栗を拾う”的行為にも思える。 現在だけに限ったことではないが、DPは決して健全なバンドではない。 バンドが巨大化した'70年代前半から、ビジネス面、メンバー間のコミュニケーションといったあらゆる部分を含めて不健康極まりない体質になっていた。
既にお気づきだろうが、インタビュー中のイアンは、第三者の言葉を交じえた時以外は“リッチー”と言わなかった。 “ギタリスト”、もしくは“彼”で表現している。 また、過去のDPについては“DEEP PURPLE” と呼んだが、今のDPを語る時は必ず“DEEP PURPLE PROJECT”と言った。 この事実だけでも、彼の今の心境が伝わってくるし、その気持が痛いほど判るだけにギタリストのファンでもある私には辛いインタビューとなった。
しかし、この時点でサイは投げられたわけで、イアン・ギランの話を掲載したならば、その標的となったギタリストの言葉を何としてでも録らなければならない。 そして、常に両者の間に立ち、疲労困憊になりながらも常に客観的立場を貫いてきたバンドの創設者ジョン・ロードの言葉を完結編として載せるべきだろう。
だが、6月24日にロンドンにいたのは偶然にもEPISODE SIX時代からの盟友であり、同時に第2期DPに加入した2人だけだった。 冒頭で説明したとおり、リッチー・ブラックモアはロングアイランドの自宅で静養中(!?)、ジョン・ロードもイアン・ペイスも姿を見せていない。 果たして、今も申し込み継続中であるギタリストのインタビューは出来るのだろうか……。
その結果は次号ですべてが明らかになる。 駄目であれば、その旨が編集後記などで伝えられるだろうし、取材が出来たならば掲載されるだろうが、その前に小誌のイギリス在住特派員によるロジャー・グローヴァーのインタビューを次頁からお楽しみ頂きたい。
本来の目的は達成出来なかったものの、決して無駄ではなかった今回のロンドン行き。 それはすべて、オープン・マインドの持主であるイアン・ギランのお陰だった。 海外取材にトラブルは付き物だが、今回ほど救われたことはなかった。 多分、第7期DPは長続きしないだろう。 それが予想出来るだけに、何とも複雑な気持でいる…■■